試練。SIDE:神楽
眼前に映るありがちな感動場面。
ストーリー展開は読めてしまうが、主演の新人女優の演技もなかなかで割と見れる。
だが、時折入って来る脇役が下手過ぎて、トータルで見れば残念な仕上がり。
冷静に批評してみた神楽は残り十分を前にして、もう一度見ることはないな、と思った。
「おい」
そこでかかった、低い声。
「……なんですか?」
いくら興味が失せた作品でも、一応は最後まで集中して見たい。
傍らに座す男は、返答に混ぜられた邪険の色に、どうやら顔をしかめたらしい。
相手を見ずとも気配で分かる。
気配で分かると言うのは問題な気がしないでもないが、きっとこの男が分かりやすいのだと、勝手に決め付けて己を落ち着けた。
「暇だ、チャンネル変えろ」
何を今更。
「嫌です」
「こんなドラマの、どこが面白い?別のに回せ」
面白くはありませんよ。
「お断りします。暇ならお風呂でもどうぞ」
胸中でいらぬ一言を付けたしながら、それでも神楽は決して画面から視線を離さない。
右隣から聞えた溜息一つ。
それからソファがぎしりっと音を上げて、長身から放たれる奇妙な存在感が消えた。
自分の言葉通り、バスルームに行ったらしい。
小さく、パタンっと扉が閉まった。
神楽はふぅっとやや長めに息をつく。
視線を横に向ければ、大きな隙間が出来ている。
まだ碧の重みでクッションがへこんでいた。
テレビの中では登場人物たちがフィクションを演じ続けていると言うのに、神楽の目は戻らない。
これのために碧を追い出したようなものなのに、今は碧が消えた場所を見つめている。
「……急に目障りな存在がいなくなったから、気になるだけですよ」
誰に言うでもなく、らしくない独り言がやけに耳につく。
再びドラマに集中する気分にもなれず、神楽は天井を仰いだ。
白い灯りに目を細める。
「暇だ」とハタ迷惑に子供のような台詞を言うくせに、こちらが集中していると分かれば、大人しく退く男。
常ならば粗暴な足音も、さっきは驚くほど静かで。
軽く閉まった浴室への扉は、こちらを思っての配慮だったのだろう。
神楽は人並み外れた自分の洞察力を、初めて呪った。
同居生活を始めてそろそろ一ヶ月。
気付いたのは、早かった。
初対面に感じた乱雑で横暴な面は勿論あるが、きちんと他人のことを考えている。
無意識の行動という可能性も否定できないけれど、これは意外だ。
意外過ぎて困ってしまう。
成り行きで始まったこの生活。
他人と長期間一緒に過ごすことなど無理だと思っていた。
二週間を待たずとして、何かしら理由を作って部屋から叩き出そうとさえ考えていたのだ。
それが駄目なら、自分が出て行く。
だがどうだ。
振り返れば、一ヶ月。三十日。七百二十時間。
ずっと傍に居るわけではない。
それでも経とうとしている。
一ヶ月。三十日。七百二十時間が。
つまり、それは。
自分が彼との生活を、そこまで嫌がってはいないと言う証拠でもあって。
「………珈琲でも淹れましょう」
思考の終着点を誤魔化すように、神楽はエンディングテーマが流れ始めたテレビの前から離れると、キッチンに向かった。
コーヒーサーバーをセットする。
「予告やってるぞ、いいのか?」
不意に聞えた碧の声に、神楽は思わず飛び上がりそうになった。
戻っていたことに気付けなかった。
ギリギリ無様な反応を堪えて目を上げれば、スウェットのズボンだけをはいた男が、緑に染めた髪から水滴を落としつつ、こちらを見ていた。
華奢なばかりの己と異なり、綺麗に鍛えられた身体。
無いもの強請りをするつもりはなくても、少しだけ羨ましく思ってしまいそうで、神楽は視線を外す意味も込めて冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出した。
「……えぇ。もう見ることはないので、関係ありません」
「は?」
意味が分からない。
整った顔に間抜けな表情。
ボトルを放うりながら解答を与えた。
「今回までの平均視聴率が20パーセント後半を記録しているので、一体どんなものかと試しに見ただけですから。予想通り、安いフィクションでしたね」
今しがたの自身を抹消するように、殊更淡々と口にすれば、碧が乾いた笑いを漏らした。
きっと「神楽らしい」とでも思っているのだろう。
「お前、本当に外面との差が激しいよな。詐欺だ」
「貴方と違ってTPOを弁えているだけですよ、人聞きの悪い」
「………」
今度は片頬を引きつらせている。
なるほど、見かけによらないのは性格だけではないらしい。
器用なことも出来るのか。
ごく自然に思ってしまった事実に、神楽は内心だけで舌打ちをする。
いい加減にしてくれ、自分。
もうこれ以上、知りたくない。
もうこれ以上、気付きたくない。
碧の新たな一面など、自分には必要のないものだ。
いずれ終わる同居生活。
先のことを考えれば怖くなる。
不必要なものばかり増やさないで。
余計なものを持ち込まないで。
貴方の存在が消えたとき、あのソファのように、ぽっかりと隙間が空いてしまったらどうしてくれる。
再び始まった嫌悪すべき思考。
まるでドラマの中のヒロインみたいで、吐き気がする。
意識を持ち上げた神楽は、こちらを凝視する碧の視線に小首を傾げた。
「何か?」
「……いや、何でもねぇよ」
ぱっと顔を背ける男。
リビングのテレビは、次の番組を流し始めたようだ。
ぽととっと音を立てて落ちるサーバーの中のコーヒー。
よかった、あんまり見られては困る。
透き通るほどに意思の強い緑の眼が、持ち込まれるところだった。
増やしたくない。
必要ない。
どうせ無くなるものは、何もいらない。
けれど知っている。
本当にこの洞察力は問題だ。
神楽の中には、すでに手遅れなほど『それ』が入り込んでいる。
fin.
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