10年12月25日(雪くん誕生日)限定「きみに贈る。」




雪が目覚めたのは、昼食にはまだ少し早い時分だった。

もぞもぞ温い寝床の中で身動ぎをして、傍らに腕を伸ばす。

しかし、そこに求めるぬくもりは存在しなかった。

「ん……?」

不思議に思って寝ぼけ眼をしっかりと開き、むくっと起き上がれば、ベッドはおろか寝室にもいるべき少年の姿はない。

先に起きてしまったのだろうか。

己よりもよほど目覚めのよい衣織だから、いつもは彼の声で雪も目を開ける。

雪が起きずとも、自分が寝台を出るときは必ず声をかけてくれるのだ。

しかし、今日に限って彼は何も言わずに出てしまったらしい。

どれほど熟睡していても、例えそれで起きなかったとしても、衣織の声がかかったかどうかだけは、いつも覚えている雪は小さく眉を顰めた。

寂しい、と言うよりも不服だ。

手早く身支度を整えると、雪は冬の気温で冷える寝室の扉を開けた。

繋がっている先はリビングルームだ。

以前、衣織が住んでいたヴェルンで見つけたアパートメントが、今の二人の住まい。

そう広くはないけれど、しっかりとした造りと、何より衣織と共に過ごせるある程度平和な日々に満足している。

声をかけないで一人起きてしまった。

たったそれだけのことで文句を言おうと思ったのも、きっと幸せな毎日が故だろう。

だが、踏み込んだ先にも愛しい少年の姿は見つけられなかった。

精霊石のお陰で室内は暖かだが、暖炉に火は灯っておらず明かりもついていない。

冬場のダブリアは、日中でも日差しが少なく空が翳っていることが多いから、この時期は明かりをつけるのが普通だ。

部屋の明かりも暖炉の火もないと言うことは、衣織がこのアパートメントの部屋を出て行ったことを示してる。

「っ……」

途端、嫌な予感が強襲した。

雪は黒のシャツの胸をぎゅっと握りしめる。

否、その下にある首から下げた花石を掴んだ。

衣織が消えてしまった。

自分の前から、自分の知らぬ内に。

それはまるで、あのときのよう。

あの悪夢のようで、息が詰まる。

どくどくと尋常でないスピードで脈を打つ鼓動に、落ちつけと言い聞かせる。

雪は目を閉ざすと、花石に意識を集中させた。

大丈夫、大丈夫だ。

もう、自分たちに振りかかる災厄はない。

すべて片が付いている。

何より、もう二度と離れないと誓ったのだ。

静かに呼吸を整え、心臓の高鳴りが落ちついた頃、雪はようやく瞑目を終えた。

ほっと、詰めていた呼気を吐き出せば、体中の筋肉が弛緩する。

思いの外、緊張していた事実に苦笑が漏れた。

そうして寝室に戻ると、自分のローブを引っ張り出して足早にアパートメントを後にした。

外に出ると凍てついた空気が頬を打った。

今日も今日とで曇天の空は、幸いなことにまだ雪が降り始める前だったけれど、水精霊の気配が強まっている。

後数刻としないうちに、吹雪となるかもしれないな、と考えながら、雪かきのされた石畳を歩く。

道端には避けられた雪が山となっていて、街の子供たちが雪合戦をしている。

田舎のために馬車や自動四輪が通る機会も少ないから、親たちが来るまではメインストリートも彼らの領域だ。

ヴェルンの住民にとっては、例年通りの冬。

商店はどこも開いていて、買い物をする客もちらほらと目に入った。

「あら、雪さん! こんにちは」
「あぁ」
「一人なんて珍しいじゃない。どうしたのよ」

気さくに声をかけて来たのは、この街で唯一の精霊石屋の女店主だった。

恰幅のよい女性で、雪の秀逸な容姿にも物おじせず話しかけて来る。

と言っても、衣織とこの街で生活をするようになってからは、彼の影響で雪も随分と街に知り合いが増え、今では彼の外見に怖じける者も少なくなったのだけれど。

買い物の途中らしい女店主に、雪は少しだけ愚痴った。

「朝、目覚めたら衣織がいなかった。今から迎えに行くところだ」
「おやおや。あんた相変わらず衣織離れ出来てないのかい」
「衣織離れ?」
「そう。あの子は自由に動き回る子だろう?束縛ばっかりしていたら、いずれ嫌気が差して女のとこにでも行っちまうよ」

意地悪く笑う相手に、雪はふっと微笑んだ。

一見、衣織は自由な少年だ。

何にも囚われず、どこまでも羽ばたいて行くように思える。

けれど、自分の罪にずっと縛られていた。

人知れず、息を殺して罪悪感に耐え続けていた。

それから解放された今では、別のものに囚われている。

否、離そうとしないのだ。

「束縛なんて俺も衣織もしない。ただ、俺も衣織も、お互いがいなければ真実幸せではないだけだ」
「あはは! なるほどね〜、そんだけ好き合ってりゃ逃げられるなんてことはないか」
「今朝は逃げられたけれどな」

嘯くように返すと、女店主は崩顔してまた笑い声をあげた。

と、そのとき雪は精霊のざわめきを感じ取った。

水精霊ではなく、花精霊が雪を呼んでいる。

一体どうしたのかと、そちらに意識を傾ける前に、女店主が「おや?」と言った。

「なんだか広場の方が騒がしいね。人が集まっているようだよ」
「広場が?」

彼女の視線を追って、もうすぐそこまで迫っていた街の中央広場を見ると、人口の少ない街にも関わらず確かに人だかりが出来ていた。

雪は女店主にペコリと会釈をして、当初の目的地である広場に急いだ。

広場の入り口は、人垣が出来上がっていて、それ以上進むことが出来ない。

あまり人が集まる場所が得意でない雪からすれば、ただ中に飛び込んで行く選択肢すらなかった。

この先に衣織がいるのは、花石の反応からみても間違いない。

危険が迫っているようでもないから、急ぐ理由もないけれど、わざわざここまで迎えに来て帰るのは嫌だ。

さてどうしたものか。

腕を組んで悩んでいると、聞き慣れた声が寒空に響いた。

「お?雪ー!?」
「衣織……?」

自分の名を呼ぶ少年の声は、人だかりの中央からのようだ。

「こっち来い!今、呼びに行こうと思ったんだ!」

そう言う少年の声に反応してから、人々が雪に気が付き道を開けてくれた。

皆、なぜか笑顔で雪を見ていて、内心だけで首を傾げつつ、人の間を進んで行った。

「衣織、一体どうし――」
「雪、ハッピーバースデー!」

ようやく少年の姿が見えたと同時に、衣織が嬉しそうにそう言った。

見開いた金色の瞳に飛びこんで来たのは、デコレーションケーキを象った雪像である。

チョコレートプレートの部分は、しっかりと文字が彫られていて、息を呑んだ。

――たんじょうび おめでとう

呆然と立ち尽くす雪に、少年は少し照れくさそうにはにかみながら。

「ダブリアでも特に寒い、ヴェルンならではだろ?氷像でもよかったんだけどさ、こっちのが雪の色っぽかったしいいかなって」
「衣織……」
「あ!あんたもしかして忘れてただろ?自分の誕生日くらい、覚えていろよな」

咎める言葉に、街の人々から笑い声がおこる。

雪は胸に暖かな火が灯るのが分かった。

先ほどまでは不安を募らせていた心が、幸福に彩られる。

優しい表情でこちらを見上げる少年に視線を戻し、雪は口を開いた。

「……これは、誕生日プレゼントか」
「そう。あぁ、本当のケーキはちゃんと店に頼んであるから、後で取りに行こうな」
「起きたらお前がいなくて、驚いた」
「内緒でこれ作るつもりだったから。ごめん」

小さく最初の目的であった文句を告げるも、本当はもうそんな些細なことはどうでもよかった。

他愛のない不満が出るのは、幸福な証拠。

他愛のない不満が消えるのも、幸福な証拠だ。

雪はその秀麗な面を花のように綻ばせると、傍らの少年を抱き寄せた。

「ちょ、おい!」
「ありがとう、衣織……ありがとう」

人目を気にする少年はしばらく暴れていたけれど、万感の想いを込めてそう囁くと、宥める手が背中に回った。

それが益々、雪の胸を暖かくする。

口づけようとして鳩尾に一発喰らうのは、次のときであった。


fin.



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