11年11月22日(いい夫婦の日)限定「幸福な朝。」




穂積 真昼の意識が覚醒したのは、目覚ましの音が鳴る数分前だった。
スプリングの利いたベッドの上に横たわったまま、布団から腕を出してアラームの設定を解除する。
そのまま傍らへと手を伸ばすものの、指先が触れたのは熱を失って久しいシーツ。
腕に抱いて寝たはずの存在は、いつもの如く起床しているらしい。
それに小さく苦笑してから、ようやく真昼はベッドを抜け出した。
身支度を整え、リビングへと向かう。
カーテンの開かれた窓から爽やかな朝日が差し込み、室内を明るく照らしている。
今日の天気は気持ちのいい快晴だ。
胸を満たして行く幸福感のままに、穂積はまっすぐにキッチンを目指した。
調理音のするそこには、華奢な人影。
濃紺のエプロンを締めた愛する人の後ろ姿に、自然と唇が弧を描く。
穂積は出来る限り気配を潜めて、線の細い背中へと近づいた。
本職の人間に敵うはずがないことは承知している。
だが、今はプライベートな時間の上に、相手の意識は料理に集中している。

「おはよう、千影」
「っ!」

耳元で囁くや、少年の肩がビクリッと跳ね上がった。
勢いよく振り返った白皙の面には、驚愕が乗っている。
予想通りの反応だ。

「か、会長!」
「おはよう」

まん丸に見開かれた茶色の瞳を上から覗き込みつつ、もう一度挨拶をする。
千影は微かに頬を上気させて、はにかむような笑みを浮かべた。

「……おはようございます。今、起しに行こうと思っていたんです」
「なら待っていてもよかったか。惜しいことをした」

半ば本気で言うと、途端に千影の纏う空気から甘さが消えた。
咎めるような眼差しで、きっぱりと言う。

「起きれるなら、一人で起きて下さい。毎朝、俺が声をかけるのを待つ必要はないでしょう」

朝食の準備が中断されて困る、と続けられて、些か気分が落ちる。
寝ぼけたふりをした穂積が千影を構い倒すのは、朝の恒例行事に近い。
ベッドに連れ込んだり、着替えを手伝わせたり、日によって構い方は異なるが、穂積にとっては朝の幸福なひと時だ。
まさか別の捉え方をされていたとは思わず、少なからずショックを受ける。

――連日、深夜まで仕事をしている人間を労わろうとは思わないのか

のど元まで出かかったセリフは、好戦的なもの。
学生時代ならば、迷うことなく音にしていただろう。
例えそれが、極寒の冷気を呼ぶ闘いのゴングだとしても。
ぐっと堪えたのは、千影の薬指で輝く銀のリングが目に入ったからだ。
穂積の左手にも、同じ指輪が納まっている。
この愛しい相手が、自分のものであるという紛れもない証。
二人を繋ぐ絶対の絆。

「そうだな、お前を待つ必要はない」

穂積はゆっくりと言った。
予想外だったのか、千影の頬が動揺に強張る。
それに益々愛おしさが募り、ぐっと腰を引き寄せた。
深く抱き込み、視線を絡める。

「お前の声で朝を知りたいと願うのは、我儘が過ぎるな。お前の傍にいられるだけで、満足すべきなのに」
「っ、あの……」
「少しでも長く、二人の時間が欲しいなんて高望みだった。やっと焦がれ続けたお前を手に入れたというのに、俺はお前に負担を強いてるんだろう」
「そんなことは、えっと……」
「俺は少し、お前を愛しすぎているかもしれない」

意識的に深めた声で、唇に囁きを落とした瞬間。

「………………すみませんでした、俺の負けです、勘弁して下さい」

千影が降伏した。
真っ赤に染まった顔を見られたくないのか、胸に凭れてくる。
服越しに伝わる体温の高さに、穂積はその身を緩く抱きしめながら勝利の笑い声を上げた。

「ははっ、耳が赤いぞ」
「う……黙ってください」
「いつも喧嘩腰ばかりじゃ、つまらないからな。こういうのもアリだろう」
「反則技使っておいて、何言ってるんですか」
「反則? 言った言葉に嘘はない」
「っ……!!」

ぎゅっと腕に力を込めた穂積は、抱えた身体がさらに熱を上げたことに気が付いた。
もしかしたら、完全勝利は初めてかもしれない。
惚れた弱みとでも言おうか。
いつも最後のところで穂積が退いていたので、一種の達成感すら覚える。
照れて悶える少年を心底可愛いと思いながら、完勝に浸っていた穂積は、唐突に顔を上げた千影に反応することが出来なかった。

ちゅっ。

可愛らしい音と共に、頬に触れた柔らかな感触。

「え?」

何が起こったのか理解が遅れ呆然とする穂積に、千影は少しだけ照れくさそうに微笑んだ。

「貴方ばかりが俺を好きだなんて、思わないでください」
「っ!?」
「俺だって……真昼のことを好きすぎるかもしれません」

言うや、緩んだ腕の中から逃げ出した少年は、朝食の盛りつけられた皿をテーブルへと持っていく。
気恥ずかしさを紛らわすように、少し上ずった声が今日の予定を語るけれど、残された男に内容を把握できる余裕などあるはずがない。
穂積は報復を受けた頬を手のひらで抑えると、熱のこもった吐息を吐き出した。
勝ったと思った己は何て浅はかだったのだろう。
惚れた方が負けだというのなら、穂積が千影に勝てる可能性などゼロに等しい。
戯れのようなキスと、ぎこちない告白一つで、こうも胸を弾ませる日が来るなんて。

あぁ、今日も幸せだ。


fin.



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