視線。SIDE:碧




ふっと喉の渇きを覚えて目が覚めた。

深夜3時。

元々眠りは浅い方だから、別段珍しいことでもない。

碧はベッドから降りると、隣室の相手を思って素足を静かに動かし自室を出た。

が、予想に反してリビングには明かりが灯っている。

ソファの前に座って、ガラスのローテーブルにパソコンを点けて。

眼鏡をかけた年下の同居人がいた。

「なんだ、まだ起きてたのか」
「……あぁ、すいません。起こしてしまいましたか?」

タイピングの手を止めこちらを見上げた神楽に、碧は「いや」と返しながらキッチンに入る。

冷蔵庫を開けて買い置きしてある水を取り出していると、再開されるカタカタという音。

大方レポートの類だろうが、彼が深夜まで追い込まれるのは初めて見た。

「期限忘れてたのか?」
「まさか。そんなわけないでしょう。締め切りはずっと先です」

予想外の返答に碧は眉を寄せた。

「なら寝ろ。あんま起きてっと朝キツイだろーが」
「今、調子がいいんですよ」
「っても、限度があるだろ」
「今出来ることを後に回す必要はありませんから。それに、睡眠は時間ではなく質ですよ」

自分とは正反対の考えに、碧は溜息をついた。

なんと真面目なことか。

これが本心からの言葉だから、感心に値する。

それだけ言うと、神楽はもうこちらに興味を失ったのか、レポートに集中しだす。

碧はボトルに口をつけながら、何とはなしにその様子を観察してみた。

丁度、キッチンからは背中が見える。

薄い長袖一枚だけの肢体が、電灯に照らされて微妙な陰影を作っている。

細い肩が目に留まった。

確か二十歳と言っていたが、それでこの華奢な身体はどうなのだ。

男など高校を卒業すれば大抵骨格がゴツクなって、むさ苦しい。

それなのに、神楽は違う。

女性ほど頼りないわけでもなく、自分のように男性的なものでもない。

細い骨が完璧なフォルムを形成して、そこに僅かな筋肉を乗せたもの。

『中性的』とは、彼のことを言うのだろうか。

視線を上げて、首を見る。

長めの襟足が白い場所を隠しているが、隙間から覗く皮膚の艶かしさを強調しているようだ。

雪のように綺麗な白。

一つの傷もないはずだ。

穢れのない肌は、きっと赤も映える。

碧の犬歯が鈍く疼いた気がして、男は慌てて目を逸らした。

不味い。

以前よりも酷くなっている。

なんて恐ろしい病にかかってしまったのか。

ただ『観察』していたはずが、一体なぜ。

苦い気まずさが胸を覆い、「重症だ……」と小さく漏らす。

取り返しのつかないことになる前に、碧はボトルを冷蔵庫に戻すとさっさと部屋に帰ろうとした。

「あんま無理すんじゃねぇぞ、かぐ……っ」
「ふぁっ……っと、失礼。えぇ、分かってます」

自室の扉を前にして、最後に何気なく振り返ったと言うのに。

反則だ。

あぁ、もう本当に反則だ。

わざとなのか、と問い詰めたい。

いや違う。

そんなことは望んでいない。

が。

真実に望んでいることなど、行動に移すことはおろか、脳内で考えることも出来ない。

と言うか、赦されないと自覚している。

小さな欠伸をして、薄っすら目尻に涙を添えた神楽の瞳が、上目遣いでこちらを見ただけだ。

それだけなのに、ベタもいいところなのに。

「……お休み」

動揺を悟られないように、素早く部屋に入ると、碧はそのまま扉にもたれて口元を覆った。

リビングと異なり、真っ暗な部屋。

不味い、本当に不味い。

違う、まだ大丈夫。まだ行ける。

そうだ。

こんな気持ちはこの暗闇に溶かしてしまえ。

黒く塗り潰して、二度と湧き上がらないように。

白日の下に現れることがないように。

けれど。

闇を流した自室の内に、扉の細い隙間から漏れ入る光を見つけ、碧は盛大に顔を顰めるのだった。


fin.



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