大人。SIDE:碧




リビングのソファに寝転がっていた。

男の長い足は当然、座面はおろか肘掛部分からも飛び出ている。

バイトの時間までは、まだもう少しあって。

碧は特に興味のない音楽雑誌を、ぱらぱらと眺めていた。

「あれ?」

聞えた声は自分のものではない。

コートを着て、すっかり身支度を整えた同居人が、キッチンから顔を出した。

「冷蔵庫に入れておいた、このくらいの白い箱、知りませんか?」

ちらりと目を向けると、手で大きさをジェスチャーしている神楽。

その眼鏡の奥の瞳は、疑問の中に疑念が見える。

黒に青をかけたその光を認めた瞬間、男は小さく舌打った。

「……食った」
「何やってくれるんですかっ!本気で?」
「……」

美人が怒ると怖いと言うが、柳眉を吊り上げて声を荒げる神楽は、怖いと言うより綺麗だ。

涼やかな目元が感情を露にして、やや大きめに開いた唇。

自分の窮地を忘れ、しばし物言わず見つめていたが、糾弾の台詞で容赦なく現実に引き戻された。

「ちょっと、貴方本当に食べたんですかっ?人のものを?」
「お前甘いもの食えねぇって言ってたじゃねぇか」
「えぇ。確かに嫌いですよ。大嫌いですけど?でも、それが貴方に何の関係が?」

本日の朝食として碧の胃袋に納められたのは、二つのカットケーキ。

これと言って胸焼けするタイプではない男は、他に食べるものもなかったし、寝起きで甘いスイーツを食したわけだ。

自分で買った覚えはないから、大方神楽が誰かから貰ったのだろうと勝手に推測して、アンチスウィーツな彼のために処理してやったと言うのが碧の言い分。

「何だよ、食いたかったのか?」
「まさかっ。あんな糖分の化身を、私が食べたがるわけないでしょう。今問題にしているのは、貴方が人のものに勝手に手をつけたと言うことです」

糖分の化身。

すごい言い方だ。

ここで笑えば火に油を注ぐだけだと、碧とて分かっていたから、雑誌で口元を隠しつつ彼はソファから身を起こした。

「悪かった、買って来てやるから怒るな」

テーブルの上に用意しておいた、携帯電話と財布をデニムのポケットに捻じ込む。

これで問題解決だ。

今からならバイトに遅刻することもないだろう。

けれど、神楽の顔は怒りを通りこして呆れたものに変化した。

「そう言う話をしているんじゃないんです。少しは理解して下さい……」

頭痛を覚えたように額に手を当てる。

吐き出される溜息に含まれた、疲れに近い色。

碧は少しだけ顔を顰めた。

神楽の言いたいことは勿論分かっている。

だが、事態の収束の一番手っ取り早い方法が、これ以外思いつかないだけだ。

「で、どこで買ったんだ?」
「……もういいです」
「は?」
「一日二十個限定のケーキを、今から購入出来るわけないでしょう。今朝、早めに起きて買いに行った、私の努力が無駄になっただけですよ」

軽く一瞥されて、碧は言葉に詰まった。

確かに、朝の早い時分に彼が出かけたことには気付いていたが、まさか限定二十個だなんて。

現在、午後三時。

とんだものを食べてしまった。

居心地が悪そうに視線を落とした男は、そこで気が付いた。

「つーか、お前何のために買ってきたんだ。自分で食うわけじゃねぇんだろ」

そうだ。

自分で買ったもので、且つ彼自身が食べるのでないなら、あのケーキは何だったのか。

冷蔵庫に存在した理由が見つからない。

話をそらしている自覚なしに尋ねれば、やや豊前としながらも淡々とした解答。

「頼まれたんですよ」
「誰にだ?」
「生徒です。担当している子が食べたいと言っていたので、彼の大学合格のお祝いに、今日渡そうと思っていたんですよ。どこかの礼儀知らずが、食べてしまいましたけど」

最後にきっちり嫌味を付けると、神楽は壁の時計を見て慌てて玄関に向う。

そう言えば、相手が出かけようとしてから、随分と時間が経っている気がする。

後を追うと、靴を履いた彼がこちらをクルリと振り向いた。

「貴方の性格はよく分かりました。もうこの件は結構です。きちんと戸締りして出て下さいよ?」

キッと睨まれて言い含められるが、碧は僅かに口端を吊り上げた。

「何笑ってるんですか……」
「いや?気にすんな。気をつけて行って来い」
「……行って来ます」

端整な面に心底不服そうな表情で呟いた男は、小さく答えるといつもより強い力で扉を閉めて行った。

視界から同居人が完全に消えたところで、ひらひら振っていた手を止める。

そして今度は、しっかりと唇から犬歯を覗かせた。

「ザマーミロ」

どうして神楽からのプレゼントなど赦せよう。

いくら塾講師のアルバイトだからと言って、そんな贅沢認めない。

何も知らずにケーキを食べた自分を、碧は心の底から褒めてやりたい気分だ。

「ガキがっ。光年単位で早ぇ……」

大人げない言葉を吐き出すと、男はどこかすっきりとした気持ちでリビングに戻って行ったのだった。


fin.



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