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簡潔に応じた逸見だったが、その顔が微妙に引きつっているのが、歌音には分かる。
サルヴァトーレの妻であり、歌音の母でもある百合花は、熱烈な逸見ファンだ。
普段は我が子のように逸見と接している百合花だが、時折スイッチが入るのか、急にアイドルのファン化する。
生真面目な態度と洗練された容姿の逸見は、彼女の格好のターゲットのようで、定期的にかける電話でも、逸見が受話器を持てば、傍にいる歌音に届くほど大きな歓声を上げている。
決して嫌いではないが、疲れそうな展開を想像したらしい逸見は、ひっそりと嘆息した。
「そうだ。カノン、迎えの車を断ったんだって?駄目じゃないか」
座り心地のよいソファに腰を落ち着けると、サルヴァトーレが思い出したように、厳しい顔を作った。
「最近は日本だって物騒だ。それにもし情報が洩れていたりすれば、誰に狙われるか分からないんだよ?」
「情報の保護には碌鳴が動いているから、そう簡単に漏洩する心配はないよ。でも、父さんに心配をかけちゃったんだよね。ごめんなさい」
注意の台詞はもっともだ。
逸見との時間を長引かせたいあまり、わがままを言った自覚はあったから、父親の心配を受け入れる。
歌音の素直な反応に、相手はすぐに表情を崩した。
「無事でよかったよ。優秀なボディガードがいるから、大丈夫だとは思うけど、次からは迎えを待つんだよ。カナメも、カノンをよろしく頼むね」
自分の座るソファの背後で、ぴんと伸びた背筋のまま直立不動の逸見を、歌音は小さく振り仰いだ。
「もちろんです。歌音様は私が責任をもって護衛いたします」
ともすれば軽く聞こえる応答も、彼が言えば疑う余地もない。
満ち溢れる責任感と忠誠心に、苦い気分が蘇った。
さっきから、どうにも消化し損ねてしまっている、心の中の澱。
普段ならば、この程度のことで気分が落ち込むことなどないのに。
学院を離れ逸見と本来の関係に戻ったことが、歌音の消化器官を不調にさせていた。
「カナメは、命だって張りそうだなぁ」
サルヴァトーレが放ったからかいに、思わず肩が跳ねた。
簡単だ。
逸見が何と答えるか、歌音には痛いほど分かるからだ。
そして、その回答がどれほど自分に突き刺さるのかも、よく理解していたからだった。
「歌音様の無事に繋がるのなら、私の命など瑣末なものです」
鼓膜を震わせた予想通りのフレーズ。
膝の上に置いた拳を、ぎゅっと握り締めれば、どうにか叫び出したい衝動を堪えられた。
背後に立つ男に、歌音の変化が気付けるはずもなく。
対面に座った父親が、すっと切れ長の瞳を眇めたことを、絨毯の床を見つめる少年が察することはなかった。
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