◇
「どうして言わなかった」
「……ごめん。言える状況でもなくて」
布団から目だけを出して謝ると、疲れたような溜息が寄越された。
逸見の大きな掌が前髪をかき上げて額に乗る。
ひんやりとした体温に、歌音はほぅっと心地よさげに呼気を逃がす。
あの後、病院に付き添った者からエリスの容体の報告を受けた。
逸見の見立て通り、命に別条はなかったのだが、しばらくは入院をしなければならないらしい。
完全なる反逆者となった秀に師事していたエリスが、今後どのような処遇となるかは未だ不明であるものの、身を呈して歌音を護った功績は彼を悪いようにはしないはずだ。
自分の側近に据えることは出来ない申し訳なさを感じながら、構成員の報告に耳を傾けていた歌音だったが、次第に青ざめて行く顔色を逸見に気付かれてしまった。
そうなれば、歌音の「大丈夫」が受け入れられるはずもない。
あっと言う間に戦闘で荒れた自室から、客室へと場所を移され、甲斐甲斐しく看病を受けることになった。
初めは大袈裟だと苦笑していたのだが、どうやら自覚していたよりも限界だったらしい。
体調など忘れるような出来ごとが連続したせいで、すっかり意識から追い出していたためかもしれない。
有無を言わさずベッドに押し込まれるや、すぐに目蓋が重くなり、ほとんど気を失うようにして眠りについた。
目覚めたときには、日が暮れて久しい時分。
電気を点けていない室内は薄暗く、カーテンを開いたままの窓から、紫紺色の夜に浮かんだ月明かりが差しこむばかりだった。
「ずっと、付いていてくれたの?」
「すまない、寝付けなかったか?」
「ううん。そんなはずない」
分かっているだろうに、逸見は気遣うように顔を覗き込む。
今、本当に思いやられるべきは、彼の方なのに。
実の父親に銃弾を撃ち込んだ逸見。
己を虐げた暴虐者に牙を剥いた逸見。
これまでを振り返れば、彼が秀を父親として見ていたようには思えないが、それでも実際のところは本人の胸の内だ。
いくら他人の感情に敏いとは言え、心を読めるわけではないのだ。
逸見が長年、己に恋をしていたことを知らなかったように、今の彼の心境もまた歌音は分からない。
問いかけていいものなのか。
それすら判断できずに手元を見つめていると、くすりと笑う気配を感じた。
見れば、珍しく困ったように微笑む男が待っていた。
「逸見?」
どうしたのだろう。
何か笑われることでもしたかと首を傾げれば、ふわふわと柔らかな髪を、そっと撫でられた。
- 72 -
[*←] | [→#]
[back][bkm]