狂った耳の幻聴と一蹴するには、強過ぎる声。

常に己の傍にあったその声に、歌音は反射的に扉へ駆け寄るものの、衝撃に揺れる脳は思い描く声の主を否定する。

そんなはずはない、彼のはずがない。

確約された守護は、剥き身の心を明かした時点で、終わりを迎えたのだ。

落胆するのは目に見えているのだから、期待してはいけないと思うのに。

外側から勢いよく開かれた扉によって、歌音の考えは裏切られた。

「歌音っ!」
「い、つみ……っ」

呼吸を弾ませ名を叫ぶ男は、一人。

日本人らしい有り触れた黒髪、フルリムの眼鏡に覆われた鋭い双眸、神経質にも見える整った面立ち。

父親の生き映しのようでありながら、まるで異なる唯一の人。

逸見 要を碧い瞳に映しだすや、細い身体に抑え込んでいた激情が爆発した。

胸の中央から溢れ出す様々な想いが、血流によって全身に行き渡り思うように動けない。

今すぐ抱きつきたいのに、少年の希望を叶えるには至らない。

強襲したもどかしさの正体は、純然たる喜び。

度を越える歓喜に、目のふちが熱くなる。

歌音の願いを実現したのは、逸見の逞しい両腕だった。

痛いほどの強さで抱きしめられた途端、失われた五感が一挙に蘇った。

動き出した体全部を使って、覆い被さるように己を抱き込む男にしがみつく。

普段の歌音からはかけ離れた真似だったが、そんなことに気を回す余裕などあるはずもない。

昨夜とは違い、仕立ての良いスーツを纏った胸板に鼻先を押しつけると、硝煙の臭いが鼻腔を刺激した。

先の銃声が彼によるものだと遠い部分で察する。

「無事か?怪我はないか?痛いところは?」
「っ……」
「どうしたっ」

心配そうに問いかけられたとて、答えることは不可能だった。

泣きださないようにするのが精いっぱいで、とてもじゃないがまともな会話をする自信はない。

なけなしの理性を感情の昂ぶりの抑制に使用してしまえば、後は何が出来ると言うのだろう。

ふるふると頭を振る少年を勘違いしたのか、相手は少年の肩を掴むや俯く顔を覗き込んで来た。

歪む視界に映るのは、気遣いと不安に彩られた逸見の、少しだけ情けない表情。

事態の急展開に現実感を覚えずにいたけれど、今、ようやく思考が理解する。

あぁ、逸見が助けに来てくれた。

真実の己を知って尚、護ってくれた。

もう歌音は天使ではない。

尊くも清廉でもない。

ありのままの歌音として、逸見は抱きしめてくれているのだ。

その事実がたまらなく嬉しくて、歌音は新たな人物が大勢の黒服を従えて現われるまで、抱きついた腕を離さずにいた。




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