過去、命の危険に晒されたことがないわけではない。

素姓を隠して碌鳴学院に入学するまでは、何度か敵対組織に狙われた。

だが、この恐怖はそのときのものを遥かに上回る。

秀だから。

父の忠実な片腕が、狂信の眼で殺戮者へと変貌を遂げたのだ。

己が信じるものを奪還しようと、全身全霊を懸けて歌音を殺そうとしている。

歌音を亡き者にしようという執念とも呼ぶべき強固な意志が、傾ける感情が。

あまりに強烈で、本能的な部分で怯えてしまう。

男たちの無事を確かめたかったが、現状を鑑みずとも時間はない。

歌音はまず己に迫る殺意から逃げるべきだった。

扉に鍵をかけ、絡まりそうな足で窓際まで行く。

場所は二階。

自分の運動神経を考慮すれば、飛び下りて無事である保証はなかった。

助けは求められない。

逃げ場所もない。

絶体絶命を悟ったとき、部屋の扉に三発目の銃弾が撃ち込まれた。

大気を裂く独特の音色と、木製扉の穿たれる微かな被弾音。

咄嗟に身を伏せ、寝台の影に蹲ったものの、このままでは死を待つばかりである。

狭い室内を見回すも、ゲストルームに隠れられる場所など、高が知れている。

下手に身動きが取れなくなるのも恐ろしくて、歌音はどうすることも出来なかった。

ガンッ、ガンッ。

死神がノックをするたびに、鍵をかけた扉が激しく身を震わせる。

対抗手段はないかと必死で思考回路を稼働させるが、逸る鼓動が邪魔をして考えが纏まらない。

すでに少年の頭からは、身体の不調など消えている。

度を越えた恐怖に、感覚すべてが破壊された。

視覚は先刻目にした狂信者の瞳に囚われ、嗅覚は間もなく己が噴き上げるであろう血潮を想像し、からからに干上がった舌先は何の味覚も感じず、無意識に抱きしめた体躯の触覚すら遠い。

そして、聴覚に届いたのは。

連続した三回の発砲音だった。

鋭い叫びに、ビクッと肩が震える。

だが、弾丸が扉に新たな風穴を開けることはなかった。

ならば何に向かって、秀は引き金を引いたのだろう。

扉一枚隔てた向こうでは、何が起こっているのか。

状況が把握できず、歌音がそろりと立ち上がろうとしたときだった。

「歌音!」
「……え?」




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