「……どうぞ」

寝たふりをしてしまいたくて逡巡するも、歌音は来訪者の入室を許可した。

「失礼いたします」

凪いだ海を思わせる、落ち着いた低音は、予想通りだ。

扉を開けたのは、今は特に顔を合わせたくない相手。

エリスだった。

「お加減はいかがですか?」
「まだ熱があるみたい。もうしばらくは休んでいるよ。迷惑をかけちゃって、ごめんね」
「いいえ。今はお身体を休めることが最優先です。お気になさらずに」

緩く首を振った相手の無表情には、僅かに心配そうな気配が感じられる。

起床時間になっても部屋から出て来ない歌音を迎えに現われたエリスは、すぐに異変に気付くとてきぱきと看病をしてくれたのだ。

医者を呼ぶと言われたときには、理由が理由なだけに必死で断ったが、彼の気遣いはとても嬉しい。

水で口を湿らせると、歌音は小さく微笑む。

「ありがとう。父さんは……」
「社長は昨夜、急用が入ったとのことで、未だこちらにはお戻りになっておりません」
「そう。昨日は夕食の約束をしていたから、よかった」

サルヴァトーレの誘いを無視してしまったかと、今更ながらに心配していたので一安心だ。

エリスは歌音の傍までやって来ると、清潔な夜着を差し出した。

「お目覚めになったのなら、お召し変えになりますか?」
「そうだね。ずっと寝ていて汗をかいてしまったし」

身に着けている夜着はじっとりと濡れている。心遣いをありがたく受け取って、歌音はパジャマのボタンに指をかけ、動きを止めた。

駄目だ。

今の歌音は他人の前で服を脱げる身ではない。

この布地一枚下には、逸見の刻み込んだ赤紫の刻印が、白い肌に無数に散っている。

とてもじゃないが、見せられない。

躊躇う指先に、側近の男は何かを察したのか。

くるりとこちらに背を向けた。

「部屋を出た方が、よろしいですか?」
「……ううん。ありがとう」

普通に考えれば、同性の目を気にする方がおかしいだろうに、エリスは何も問わず、ただ目を外してくれた。

淡々とした声音は邪推をしているようにも思えなくて、少年はほっと肩の力を抜くと、手早く着替えを始めた。

水分を帯びた肌をタオルで拭い、新しいものに着替える。

さらりとした感触が気持ち良かった。

「歌音様、一つ伺ってもよろしいですか」

ふと、エリスが振り返らぬまま言った。




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