「いいえ」
「……わかった」

主に気遣われてしまうとは、何をやっているのか。

余計なことで煩わせるわけにはいかない。

仕える者として当然の思考から出された否に、歌音は数拍の間を置いてから頷いた。

その音色に落胆が混じっていたと、このときの逸見が気付くことはなかった。

くるりと背中を向けて、窓際のソファに積まれた本の元へと戻る歌音の後に、ついて行くだけだ。

数冊の洋書は経営学の専門書や思想書と、様々。それらを未熟な両腕で抱え持とうとした主に、素早く手を差し出した。

「私が」
「ありがとう。でも大丈夫、必要ないよ」
「しかし――」
「持てないほどじゃない」

珍しく強い口調での拒絶に、逸見は内心だけでドキリとした。

幼い外見に惑わされがちだが、歌音の内面は非常に大人びていて聡明だ。

早熟と言っても過言ではない。

そんな彼が、明らかに自分の許容範囲を越えた真似をするとは思いもよらず、動きが止まる。

歌音は器用に腕の中に本を積み上げると、逸見を待たずに開いたままの扉から廊下へと出てしまった。

「か、歌音様っ」

呆けている場合ではない。

慌てて追いかけると、小さな背中は廊下の真ん中を、よろめきながら進んでいるではないか。

「やはり私にお任せ下さい」
「……」
「手に怪我をしてしまいます。書物なら私が確実にお部屋へと運びますから」
「……」

横から言い募るも、歌音は無言を貫く。

目を合わせもせず、指に食い込む本の重さに耐えながら、歩き続けている。

歌音が逸見を無視するなど、初めての経験だ。

一体どうしたと言うのだ。

訳が分からず戸惑いながら、逸見は階下へと下る階段に差しかかったとき、こっそりと塔を築く本に隠れた歌音の顔を窺った。

一見すれば、いつも通り。

特別な変化などない。

けれど、その桜色をした唇の端が下がっていると。

滑らかな曲線を描く眉が中央に寄っていると。

観察力に優れた逸見は気付いてしまった。




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