「みんなみんな、羨ましくて妬ましかった。僕だけが、君に認識してもらえていない。どれだけ長い時間を共にしても、少しも気付いてもらえない。それどころか、現実の僕と君の護る「僕」は、どんどんずれて行く。どんどん、君は僕から遠ざかる」

慈悲深くなどない。

優しくもない。

狭量で我儘で横暴な己に嫌気が差すのに、心奥に根差す見苦しい願いを捨てられない。

子供染みた自己主張だと分かっていても、望んでしまう。

「僕」を見て。

「学院で「歌音」って呼び捨てられるのが、幸せだった。偽物の友人関係を強要してでも、そう呼ばれていたかったんだ」

歌音が重ねれば重ねるほど、逸見の心が悲鳴を上げる。

甲高い音を立てて走る亀裂を止める術はなく、勢いを増しながら崩壊を続ける様を見せつけられる。

それに罪悪感と共に震えるほどの喜びを覚える己は、本当にどうしようもない。

逸見を殺しかねない行為なのだと、自覚はあるのに、閉じ込めて来た想いの解放に後悔はなかった。

「ごめんね、君の望む僕ではなくて。君の大切な「歌音」になれなくて」
「やめろ、謝るな……謝らないでくれっ」
「でもね、これが僕なんだ。本当は、気付いているでしょう?もう、理解しているでしょう?」
「……っ」

奥歯を噛みしめる音が聞こえた。

何よりの返答だ。

護られるだけでは不満で、肉親や友人さえも羨んで、本意を隠してまで対等な目線を強制する聖者など、どこにいると言うのだろう。

何に、穢されると言うのだろう。

当の昔に、自らの業に塗れているこの身が。

歌音は間近にある黒眼をじっと見据えながら、その片頬をやんわりと包んだ。

ぬくもりを伝え合う部分が、甘く痺れる。

「僕は神聖なものではないから、触れても罪にはならない。罰なんか与えられない」
「あ……」
「君は僕に何を望む?何を願う?僕はあるよ。浅ましいほどたくさんの願いが」

粉々に砕け散った、虚像の「歌音」。

無理に取り繕った「側近」の仮面が剥がれ落ち、露わになった素顔から覗く、真実の「逸見」。

二人を取り巻く立場を憎み、明確な欲望を孕んだ眼で、歌音の熱を渇望する一人の男が姿を現す。

「ねぇ逸見、もう一度「僕」を見て。さっきみたいに、感情のままに「僕」を求めて」
「かの、ん」
「僕が卑怯なことを知って。僕が横暴で身勝手なことを知って。怒りもするし妬みもする、どこにでもいる醜い部分を持った人間であることを、知って」
「……歌音」
「そう、僕は歌音・マルティーニ。聖人なんかじゃない、君と何一つ変わらない、君に恋い焦がれているだけの、ただの生き物なんだよ」

求めるのなら、手を伸ばして。

紛いものの奥にある真実を捕まえて。

例えばそれが過ちだったとしても、欲しいのならば躊躇わないで。

囁くように紡いだ言葉が、ゆるりと雨音の中に溶けて行ったとき、震える男の唇が再び歌音の上へと落とされた。

最初のキスとよく似た、音もないただの触れ合いは、何かを確認するかのように数度繰り返される。

唇だけでなく、額や目尻や頬や耳朶や顎先へ、烙印を押す。

徒人の証を刻みつける。

最後にもう一度口元に到達するまで、歌音は目を開けたままでいた。

絡み合う互いの瞳には、もう止まることのない一つの本能しか存在しない。

窓の外は嵐。

硝子を叩く激しい豪雨と、黒雲に轟く雷鳴が、現実世界を破砕した。

深い口付けの先へと、堕ちて行く。




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