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初めての経験に、歌音はどうすればいいのか分からなかった。
鼻で呼吸をしたくとも、理解の範疇を超えた状況に、酸素を取り込む余裕もなくて、自然と口の割れ目が緩んでしまう。
ふっと、逸見が笑った気配がした。
息をしようと小さく開いたその狭間に、唇を舐っていた彼の舌が、ぬるりと入り込んだ。
驚愕のあまり再び口を閉じようとすると、首筋を柔く撫でていた指先が、がっしりと顎を掴んで歌音の拒絶を許さない。
口腔に侵入を果たした舌が、我が物顔で好き勝手に蠢くから、辛うじて繋ぎとめていた少年の思考能力は、ぼんやりとした霞の中に消えてしまった。
もっとも、突然の逸見の暴挙に、ほとんど動きを停止していた思考が残っていたところで、何かが変わるわけでもなかっただろうけれど。
「ふっ……んぅ、う、あ……」
「ん、はぁ……」
歯列の裏を丹念に舐められ、上顎のささやかな窪みまで擽られる。
奥で縮こまっていた舌を引っ張り出されるや、侵略者のそれに絡め取られた。
己の内側で行われている濃密なやり取りを、受け入れるだけで精一杯だ。
抵抗も何もなく、翻弄されるがままの少年の繊手は、男の纏ったよれたシャツを縋るように掴み、深い皺を作った。
顎を押さえていた指が、オレンジの髪に差し込まれ、肩を拘束していた手が、狭い背中をつと撫で下ろす。
長い、長い口付け。
ようやく解放されたときには、唇の感覚が麻痺してしまって、口角から零れる雫に頓着もしなかった。
それを無言のままに拭い取られる。
「はぁ、はっ……ふっ」
すっかり息が上がり、忙しなく肩を上下させながら、歌音は潤んだ碧眼で相手を見上げた。
じっと見つめてくる逸見の二つの目には、探るような光りが見受けられて、内心だけで首を傾げた。
「逸見……本当に、どうしたの?」
「っ!」
対面の男が、息を呑むのが分かった。
これ見よがしな驚愕に、歌音の方こそ驚いてしまう。
一体、何を動揺しているのだろう。驚くのも戸惑うのも、状況を鑑みれば歌音にこそ許された反応だ。
信じられぬものを見るように、限界まで開かれた男の眸を、困惑しつつ見つめ返した。
「……んで」
「え?」
「何で逃げない」
「逸見?」
「何で逃げないっ!」
感情が爆発したようだった。
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