自分を助けた腕を力任せに押しやると、少年は発作的と言っても過言ではない衝動から、階段を駆け下りた。

「歌音様っ」

動揺を帯びた側近の声に立ち止まることなく、階下の廊下をひた走る。

目的地があるわけではない。

ただ、どうにもならない思いが、冷静な思考を塗りつぶす。

広い屋敷の中、誰とすれ違うこともなく、足音さえ敷き詰められた絨毯に飲み干された。

等間隔で並ぶ窓からは、断続的に稲光が差し込んで、薄暗い一本の廊下を白く染める。

視界が焼かれる。

焼かれた眼は現実を上手く取り込めない。

最低だ。

最低だ、最低だ、最低だ。

何てことだろう。

注がれる忠誠心に堪えられなくて、逸見を突き放したというのに。

エリスは少しずつ、こちらに心を開いてくれていたというのに。

自分は、何てことをしたのだろう。

一方的に別れを告げたくせに、未練がましく逸見を求め続けた。

施された教育からであったとしても、真摯に仕えてくれたエリスに、別の人間を投影していた。

歌音は、二人の人間の気持ちを踏みにじっただけでなく、自分の傲慢を押し付けたていたのだ。

何より浅ましいのは、そうと気付いていたくせに、見えぬふりをしていたということ。

赦されることではない。

卑怯も過ぎる己に、心臓が潰れそうだ。

罪からの逃走経路とでも言うように、遮二無二走り続けた歌音の体が、背後に引かれたのは、長い廊下が終わりを迎える直前だった。

「っ!」

少年の手首を捉えた誰かの手は、細い骨が軋むほどの強さで後ろ手に拘束すると、助けを呼べぬよう口を掌で覆ってしまう。

そのまま腕を引き、無数に存在する客室の一つへと、背中から引きずり込んだ。

暗い色に沈む室内に灯りはなく、バタンッ!と扉が閉まる大きな音が恐怖心を植えつける。

一体誰の仕業だ。

サルヴァトーレの息子である歌音に、このような暴挙を働く者が屋敷にいるはずがない。

厳重なセキュリティ体制が布かれていても、秀の侵入には対応できなかったと思えば、外部から何者かが入り込んだのではないかと緊張する。

すぐ後ろに感じる他人の体温に、直前までとは別の理由で冷や汗が噴出した。

「歌音」

耳朶を掠めた熱い音色に、ビクンッと体が反応した。

聞き慣れた声は、ただでさえ忙しなかった心音を、さらに加速させる。

バリバリッ!と、何かを引き裂くような雷鳴が響き、正面の窓が強い白光を見せた。




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