今、自分は誰を思い出した。

みるみる胸の内側に広がっていく苦いものに、肺が締め付けられる。

背後からついて来る男に、異変を悟られないよう、息苦しさを堪えて背筋を伸ばし続けた。

自分の側近は、エリスだ。逸見ではない。

そう決めたのは歌音で、忘れようと決めたのもまた歌音なのに、どうして思い出してしまうのだろう。

真実のところ、少年が以前の側近を思い出すのは、今回だけではなかった。

今やもっとも長く時間を過ごすエリスを前にして、何かと逸見を思い描いてしまっている。

先刻みたいに、比較してしまうのだ。

同じ従順な態度でも、逸見とエリスでは正反対だと、何度考えたことか。

何度その考えを打ち払ったことか。

エリスに対して、不満があるわけではない。

彼の感情の波は、当初に比べて格段に察せられるようになったし、少しずつエリスの方から話かけてくれることも増えた。

けれど、エリスという男に慣れれば慣れるほど、歌音は「彼」を思い出さずにはいられない。

策謀を予感させる意味深な笑み、レンズの奥にある底の読めぬ眼。
突然触れて来るくせに、その手は驚くほど優しくて遠慮がちだから、時折もどかしくなる。

脳裏に蘇るのは、逃れたくて仕方なかった逸見の忠実な面ではなく、歌音が心惹かれた彼ばかり。

忘れられると思ったのに、とんだ計算違いだ。

エリスには、逸見を思い出させる何かがあった。

その「何か」の正体に、歌音はすでに気付きかけていた。

「歌音様っ!」
「え?」

物思いに沈んでいた少年は、投げられた厳しい声に弾かれ、現実に戻った。

と、同時に突然視界が傾く。

足場を失った体は、重力に逆らうことも出来ず、ヒュッと心臓が抜ける錯覚。

場所は屋敷の階段。

完全に外界を失念していたために、一段を踏み外したと理解したのはすぐだ。

襲い来る衝撃に供え、全身の筋肉が当人の与り知らぬところで、ぎゅっと緊張した。

「っ……!」

痛みが訪れることは、終ぞなかった。

バサバサッ!と何かが落ちる音が遠くに聞こえてから、歌音の身が力強い腕に抱き込まれるまでに、時差はほとんどない。

「……お怪我は、ありませんか?」
「あ……エリス、くん」

耳元でほっと息をつく声に、いつの間にか硬く閉ざしていた目蓋を持ち上げる。




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