いつの日からか、肉体的な痛みには慣れ出したが、心臓を破く否定と罵りは、いつまで経っても逸見を苦しめた。

そんな調子で、歌音様にお仕えするつもりかっ!

歌音様の顔に泥を塗るようなことがないよう、死ぬ気で鍛錬しろ。

お前の存在はお前のものではない。歌音様のものだ。

繰り返される秀の叱責で、もっとも多く登場した名前は「歌音様」。

ファミリーのボスの一人息子である、その人物こそが将来自分が支える相手なのだと、何度も何度も言い聞かされた。

振り下ろされる拳とリンクするその呪詛を聞くたびに、逸見は内心で思う。


ファミリーの人形が。


嘲りと軽蔑を持って、自分の父親を嫌悪した。

何かにつけて、サルヴァトーレを持ち出す主崇拝者。

下される命令に、従順でいることのみに生き甲斐を見出すなんて、あまりの気味の悪さに反吐が出た。

主が死ねと命じれば、秀は迷うことなく銃口を自身のこめかみに当てるだろう。

彼が自我を持ち得るのだとすれば、それは「主への絶対服従」だけだ。

盲目的で愚かな男。

従順な犬であり、一人では動けぬ人形。

だからと言って、こちらにまで己の喜びを押し付けるのは、迷惑だ。

「主人」が一体、逸見に何をしてくれた。

苦痛に喘ごうとも、胸中の孤独に怯えようとも、「主人」は影すら見せないのだ。

見たこともない相手が、自分の存在意義なのだと言われて、納得できるはずがない。

姿形は似ていても、逸見と秀は別の人格。

彼のように狭い世界に浸り切るには、逸見はあまりに聡明過ぎた。

終わりの見えない折檻の日々の中、当然のように育って行った怜悧な狂気は、顔も知らない自分の主人「歌音・マルティーニ」を睨んでいた。

「歌音」がいなければ、自分は暴力を振るわれない。

「歌音」がいなければ、自分は完璧を求められない。

「歌音」がいなければ、自分は自由になれる。

己が惨めに血を吐くすべての原因は、纏わりつく見ない鎖の先にいる、主のせいなのだ。

主のために、自分は苦痛に喘ぎ、孤独に怯えている。

憎い。

「歌音」が憎い。

逸見が底辺の汚濁に身をやつしている間、「歌音」は優雅な世界でくつろいでいるのだと思えば、皮膚の裏側にびっしりと満たされて行く憎悪と殺意。

終わらない鍛錬の日常を、従順にこなすふりをしながらも、暗く鋭い悪意は色を濃くして行った。

あの日だって、逸見は「歌音」への憎悪を持っていたのだ。




- 40 -



[*←] | [→#]
[back][bkm]





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -