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あのまま留まっていれば、さらにみっともなく縋ってしまっただろう。
脆く小さな身体を捕まえて、人目も憚らず懇願して、責めて罵って、そして、そして……。
守るべき存在を傷つけていたに違いない。
剥き出しの本能で、傷をつけたはずだ。
ふと脳裏を掠めたのは、呪いの言葉。
失敗作。
秀に言われずとも分かっていた。
自覚していた。
往生際悪く、どうにか目を背けて来たけれど、最早その意味もない。
父親の言う「成功作」が、主の命だけを遂行する感情抱かぬ人形ならば、逸見は間違いなく失敗作だ。
だってそうだろう。
逸見は、天使の翼を手折りたいと、思い続けているのだ。
あの白い肌に触れたい、優しい唇を奪いたい、瞳いっぱいに自分を映し出させたい。
甘い囁きが欲しい、伸ばされる腕が欲しい、歌音の心が欲しい。
忠誠心にはほど遠い想い。
欲にまみれた、醜悪な渇望。
自分にとっての歌音は、紛れもなく神聖な天使であるのに、こんな気持ちを抱いてしまうのを止められないのだ。
聖母に欲情するのと同等の、罪深く愚かな感情だった。
だからこそ、逸見は忠誠心を強化した。
歌音の忠実な僕(しもべ)であることで、ともすれば決壊しそうな自身の理性を律していた。
自分はただの側近。
歌音を守ることだけが、自分の存在意義。
思い込む、思い込ませる、「真実」にする。
学院に入ったことで、その自制が何度揺らいだことか。
友人関係?
勘弁してくれ。
必至で堪えていると言うのに、主自ら手綱を緩めるような真似を、してはいけない。
「歌音」と呼ぶたびに、逸見の全身を熱い滾りが駆け巡ると、彼は知らないのだ。
近過ぎる距離に、思わず本音を口走りそうになる恐怖で、背筋が凍る。
見誤りそうな歌音との関係に、眩暈がした。
溢れそうなどろどろとしたものを、抑え付ける「忠誠心」と言う名の仮面。
ひびの入った、役目を失った仮面が、剥がれ落ちる。
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