湿度の高い夏の時期にも関わらず、その人は黒のスーツを纏っていた。

やや長めの前髪は、艶やかな黒檀を思わせる。

その下の肌は先天性と分かる浅黒いものだ。日本人ではないのだろう。

見事な姿勢で進み出た男は、緊張で固まる歌音の前に来ると、流れるような仕草で膝を折った。

「お初にお目にかかり光栄です。エリスと、申します」

滑らかな日本語で名乗る音は、凪いだ海を思わせる低音。

これはどうしたものかと、反応に困る歌音へ、ゆっくりと顔を上げた。

エリスの貌に絶句したのは、前髪が流れ落ちその面が露になったときだ。

「っ……」

高い鼻梁に小奇麗に整った造り。

決して派手ではなく、どちらかと言えば控えめな印象だが、誰もが納得するほど美しい男。

だが、歌音が目を見張ったのは、彼の卓越した外見のせいではない。

表情が、ない。

初対面の主に対する礼儀として、真面目な顔をしているのではなく、元から表情がないのだと思わせる、無表情。

顔の筋肉は必要最低限のみ動かされているようで、彼の胸の内を表出する役目を担ってはいない。

たった一度対面しただけの歌音が悟れるほど、エリスの顔は凍りついた面のようだった。

そして、歌音はこの顔に見覚えがあった。

「秀っ……貴方はまた……!」
「要(かなめ)は失敗に終わりましたが、この者は違います。ようやく生まれた成功作です。……過去、行き過ぎた教育だと、ボスの目には映ったかもしれません。ですが、すべてはファミリーの未来のため。このエリスこそ、次期頭領(カポ)となられる歌音様の、お役に立てるただ一人です」

心の最奥からそう信じている秀に、寒気を禁じ得ない。

彼はまた、間違いを犯したのだ。

そして、その間違いをやり遂げてしまったのだ。

どくんどくんと、不吉に脈打つ心臓を、服の上からぎゅっと抑えつけた。

息子と異なり眼鏡のない男の視線は、直接少年の体を貫いて行く。

瞳に宿る狂信の光から逃げる意味も込めて、足元へと目を落とせば、未だに地に屈したままのエリスがいる。

表情のない、忠実で有能なだけの男がいる。

「君は、それでいいの……?それだけで、いいの?」

感情のままに告げた歌音を、男のガラス玉のような双眸が、不思議そうに眺めていた。

しかし次の瞬間、エリスははっと身を起こすと、歌音の腕を強い力で引き寄せた。

「なっ……」




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