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逸見が作り上げて行く「歌音」のイメージに、愕然となる。
純粋無垢、清廉潔白、慈悲深く尊い唯一絶対の存在。
自分とは似ても似つかない、彼にとっての「歌音」。
敬虔な使徒を彷彿とさせる面持ちで、盲目的に勝手な偶像を見つめられれば、真実の歌音が逸見の目に触れる機会など来るはずもない。
だから、学院に戻りたい。
あの領域では、歌音は「聖人」であることから逃れられるから。
碌鳴に入学する際、歌音は逸見に一つの命令を下した。
これから六年の間、同級生として机を並べることになるのだから、これまでの明らかな主従関係では、周囲の注目を買ってしまう。
いらぬ視線を集めて、正体発覚のリスクを高めるわけにはいかない。
学院では、対等な友人であるように。
そう、命令したのだ。
最初は渋っていた逸見だったが、「命令」と言われて彼が拒絶できるはずがない。
首肯された瞬間は、何とも言えない気分に襲われたけれど。
結果、歌音と逸見は「友人」となることが出来た。
敬称を付けて名を呼ばれること、要求すべてに諾と返されること、あらゆる事物を無視しても優先される寂しさから、歌音は初めて解放された。
けれど、所詮は仮初の友人関係。
偽りの対等な目線だ。
邸宅の門を潜ったときから、二人にかけられた魔法は解けた。
逸見は再び膝を屈し、歌音へと頭を垂れる。
学院にいるときから、隠し切ることの出来ていなかった崇拝の意思が、堰(せき)を切ったように溢れ出し、少年の小さな体を呑み込む勢いだ。
この数年の間に、心は少しばかり脆くなった。
彼の唇が「歌音」と紡ぐことに、すっかり慣れて、まるでそれこそが真実であるように錯覚をしかけていた。
自分と逸見は、ただの友人なのだと。
友人になれたのだと。
一時でも思ってしまった自分に呆れ果てる。
勘違いをしてはいけない。
距離を見誤ってはいけない。
近付けたなどと思ってしまえば、傷を負うのは分かり切っていること。
逸見の目に映る歌音が、神聖なる主である限り、彼と触れ合うことは出来ないのだ。
彼が見るものが、真実の歌音でない限り。
「……気分転換しようと思ったのに、逆効果だったかな」
どうにもしようのない現実に、鬱々と悩んでしまった。
クスリと笑うと、歌音は部屋へ戻ろうとした。
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