無題。


「言い訳は聞かない」
「まだ何も言っていません」

 取りつく島もないセリフに、千影はこちらを見下ろす男を恨めし気に睨んだ。

腕を組んで尊大な態度を取る男は、あるべきものがあるべき場所に最良の形で配された秀麗な面立ちをしている。

闇夜よりも深い漆黒の髪に、黒曜石の双眸が美しい。

そこに潜む感情の不穏さと、凛とした低音の紡ぐ内容の険悪ささえなければ、ため息を零したくなるだろう。

「聞かない、と言っただろう。お前が何かを言ってからでは遅い」

美貌の男――穂積 真昼はきっぱりと言いきった。

極上の微笑みとは裏腹な不遜極まりない物言いに、千影の眉が微かに寄る。

端麗な美貌を顰めて、尖った口調で応戦する。

「確かに言い訳になるかもしれませんけど、理由もなく俺がここにいると思われるのは困ります」
「お前が困ったとしても、俺が考慮してやる理由にはならない。普段、さんざんお前に困らされているんだ。少しは俺の気持ちを味わうといい」
「俺がいつ、あなたを困らせたんですか。困らされるのは、決まって俺じゃないですか」
「ほぉ……俺に何の断りもなく城を抜け出しておいて、よく言えたものだな」

小ばかにしたように言われて、千影は言葉に詰まった。

すぐには反論できずに奥歯を噛みしめると、それを敏感に察した男はくるりと踵を返す。

黒衣に包まれた真っ直ぐな背中が「帰るぞ」と告げていて、渋々後を追いかけた。

「従者っていう立場を分かってますか?」

小さな呟きは、微かな風に乗って流れた。

東大陸を統治する碌鳴王国の第一王子こそ、千影である。

現国王からもっとも愛され、臣下からの評価も頗る高く、民衆からは絶大な支持を得る比類なき優秀な王位継承者だ。

そんな千影を敬意の欠片も窺えぬ態度で諌める者など、王国中を探しても数人しかいない。

その内の一人にして筆頭が、千影の従者である真昼だった。

第三者が聞けば不敬に当たると指摘するような言動を、至極当然のように取る男。

千影が敬語を使っていることもあって、時折、どちらが主人でどちらが従者なのか分からなくなる。

乳兄弟として育った仁志 秋吉の代わりに、彼が従者になってはや数か月。

分を弁えぬ言動にも関わらず、真昼が今なお千影の傍に付いていられるのは、彼が疑うべくもなく有能であるからだ。

「あら、千影様。もうお帰りになるのですか?」

鈴のような声音に振り返れば、片口で切り揃えた黒髪が美しい少女が小首を傾げている。

千影は眉尻を下げて微笑むと、わざとのように真昼を流し見た。

「ごめんね、小鳥ちゃん。俺としてはもう少し君の庭を楽しみたかったんだけど、迎えが来てしまったから……」

貴族の中でも特に交流のある侯爵令嬢は、千影の視線にすぐに気付くや、いつの間にか背後に控えていた真昼へとオニキスの瞳を向けた。

「急なお誘いでしたから、ご迷惑になりましたか?」
「滅相もございません。美しい庭に殿下も羽を伸ばしておりました。特に、小鳥様がお世話をなさったという薔薇には感嘆されていましたよ。ねぇ、殿下?」
「あ、あぁ」
「あのように見事な薔薇を咲かせることが出来るのは、小鳥様の清浄なお心ゆえでしょう」
「そんな……。あの、ありがとうございます」

きらきらと光り輝く笑顔と共に贈られた賛辞に、小鳥は顔を真っ赤にして俯いた。

真昼は笑顔をそのままに、さらに続ける。

「国王陛下のお召ですから、本日はここで失礼させて頂きますが、いずれまた機会を改めて殿下主催のお茶会にお越しいただきたいと……あぁ、これはまだ内密なお話でしたね。申し訳ありません、殿下」
「そうでしたの、千影様? 千影様のお茶会に呼んで頂けるなんて嬉しいです。楽しみにしていますね」
「えぇ、近いうちに必ず。それでは、失礼いたします」

千影は引きつりそうな表情筋を無理に動かして、柔らかな微笑を浮かべながら歩き出した。

真昼が付いて来る気配を感じつつ、人気のなくなった辺りでひっそりと口を開いた。

「俺、いつお茶会を開くなんて言いました」
「お前は夜会も茶会もろくに開かないだろう。いくら人気があると言っても、少しは支持集めをした方がいいからな」
「陛下のお召って言うのは嘘ですよね」
「陛下がお召になったのは宝飾屋だ。別にお前を呼んだとは言っていない」
「相変わらず、嫌味なくらい優秀ですね」
「今さらだが、主人に褒められて悪い気はしないな」
「褒めていません!」

さらりと返されて、思わず語調が強くなる。

背後を見やれば、傲然と微笑む端正な面と遭遇した。

ため息が漏れる。

「……もう少し、小鳥ちゃんと話したかった」

本音を零せば、真昼の柳眉がピクリと反応した。

「王位継承者だという自覚はあるのか? ろくな警護体制も布かぬ内に一人でふらふらと城を出るなど、暗殺してくれと言っているものだぞ」
「五分もしないで追いかけて来たくせに、それを言います?」
「刺客にとったら、お前を殺して逃亡まで出来る時間だ」

屋敷の車止めに停まる馬車の扉を開きながら、従者は正論を口にした。

千影は唇を引き結ぶと、黙って馬車に乗り込んだ。

向かいの席に真昼が着くのを待って、静かに馬車が動き出す。

小言が言い足りないのか、じっとこちらを見つめる真昼の黒い眼を無視して、千影は視線を窓の外へと流した。

真昼の言葉は正しい。

己の立場を思えば、迂闊に城外へ出歩くのは避けるべきだし、筆頭護衛である彼に断りもなく行動したのは軽率と言わざるを得ない。

例えどんな理由があろうとも、王位継承者として許されぬ真似だ。

己の非を正確に理解しているからこそ、千影は強く言い返すことが出来ずにいた。

背けた横顔に突き刺さる眼差しに、千影はそっと対面を窺った。


続かない!



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