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首都レッセンブルグの中央に聳える白亜の城こそ、西の軍事国家の象徴たるイルビナ軍総本部だ。
元帥・火澄=苑麗の名の下に、深紅の衣に身を包んだ軍人たちは、日々国家への忠誠を示している。
それは総本部の地下に広がるフロア0においても同じこと。
最新の設備を整えた研究施設では、現在、北の強国ダブリアとの共同プロジェクトが進められている。
世界の均衡は花精霊のエレメントエネルギーが、滞りなく大地を廻ることによって保たれる。
花突から湧き出るエネルギーは百年単位で減少するため、その放出量を恒久的に安定させる研究が行われているのだ。
精霊学の権威である神楽=翔庵少将を筆頭に、国内外から集った優秀な研究員たちは試行錯誤の日々を送っていた。
その一人である柊は、ずしりと重い段ボール箱を抱えて、研究所へ向かっていた。
注文していた機材の納品に訪れた担当者から、おまけと言って渡された消耗品の数々。
一人で運べる量と判断したが、想像以上に腕にかかる負荷は大きかった。
しかし、柊の美しい面には何の色も浮かんでいない。
金茶の髪の下に並んだ同色の瞳や、薄桃色に色づく引き結ばれた唇から、荷重による手の痛みや疲労をくみ取ることは不可能だ。
内心の影響を受けない表情筋は、いつもの通り使用されてはおらず、硬質な美貌には僅かの綻びも見当たらなかった。
だが、彼の無表情は次の瞬間、呆気なく終わりを迎えた。
白衣の裾を揺らしながら、律動的な歩調を刻んでいた長い足が、冗談のようにツルリと床を滑ったのだ。
「えっ……?」
奇妙な浮遊感に慄いたときには、閑散とした通路に派手な音が響き渡っていた。
打ち付けた腰に鈍い痛みを感じ、小さく呻きながら反射的に閉じた瞼を開ける。
飛び込んで来た光景は、予想通り。
投げ出された段ボール箱からは、細々とした消耗品が飛び出し散らばっている。
せめてもの救いは、割れ物がなかったことか。
そこまで考えて、ようやくこの状況が無様であると思い至った。
慌てて周囲を見回そうとした柊は、背後から聞こえた声にぎょっとした。
「みーちゃった」
笑い混じりの軽い音色は、知らないものではない。
恐る恐る振り返った先で待っていたのは、自分と同じく白衣姿の男――同僚の花蘭であった。
スキップをするように浮かれた調子で近寄って来ると、その長身を屈めて座り込んだままの柊にニヤリと意地の悪い笑顔を見せる。
「大丈夫? また盛大に転んだね」
「……問題ない。少し眩暈を起こしただけだ」
「ふーん、お疲れってわけだ」
花蘭は紺青色の髪間から覗く黒い双眸を眇めると、どこか含みのある口ぶりで首肯する。
「それもそうだよね。何しろきみは、翔庵博士のお気に入り。有望株の柊くんだ」
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