D
腰に回った確かな感覚に支えられる。
覗き込むような翡翠の瞳に、自分が誰に抱き留められたのかを悟った。
「……貴方、なにをしているんですか」
「わからねぇのか」
「わかっているから聞いているんです。貴方の行動が理解できません」
信じられぬ現実に、呆気に取られてしまう。
戦闘を回避する神楽の案を蹴って、一方的に攻撃を仕掛けてきたくせに、転倒しかけた神楽を助けるとは、統合性がないにもほどがある。
困惑に揺れる瞳を眼鏡の内側で瞬けば、男はあの独特な笑い方で唇から犬歯を覗かせた。
「そんな顔を隠してんなら、最初みたいなつまんねぇ表情もアリか」
またしても、意味のわからない発言。
彼の言動の何もかもが、神楽の有する常識から逸脱しているのだ。
「私を殺したいのでは?」
「言ったのはお前だけだぞ」
「それなら、貴方はなぜ」
先ほどの物言いを真似て返される。
思惑の読めぬ相手に怪訝な眼差しを注げば、腰に回った腕の力が唐突に強くなった。
甘さを孕んだ低音が鼓膜を揺らし、神楽の脳と体を麻痺させる。
「貴方、じゃねぇよ」
色を深めた至近距離の翡翠。
獰猛な自我を秘めた輝きは、月光を受けて艶やかに煌めく。
「碧だ」
囁きと共に与えられた、男の名前。
直面した一対の宝石と熱量のある声が、神楽の意識を奪い去った瞬間。
男――碧の牙が緩んだ唇に触れた。
隙間を許さぬ口づけは、しかし浅いところで戯れる。
優しく噛まれた箇所が、ジンッと痺れた。
「気に入ったヤツに手を出す理由なんて、あると思うか?」
求めていた答えが、口角を濡らす。
何一つ理解をすることが叶わずにいた男の、理解したくない本音が。
神楽がその意味に気付くのは、再び触れた牙が己の唇に小さな痛みを与えたとき。
もはや碧に刃を向けることも、向けられることもないと確信して、胸を撫で下ろすと同時のことである。
fin.
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