B
「くふっ!」
虚空を切り裂いた投げナイフが、苦しみ喘ぐ男の心臓を的確に貫いた。
空気の抜ける音が途絶え、室内にあった生き物の気配が一つ、失われた。
暫時の沈黙を破ったのは、からかいの口調で投げられた疑問符。
「慈悲ってやつか?」
命の消えた肉体を眺めていた視線を持ち上げれば、愉悦の光りを湛えた切れ長の眼がこちらに焦点を結んでいる。
見当はずれの問いかけに、神楽は薄らと冷笑を浮かべた。
「まさか。私は自分の仕事をまっとうしただけです」
神楽の任務は標的の速やかな殺害。
男のランスは確かに致命傷となったが、胸の鼓動を止めたのは神楽のナイフだ。
そこには標的への慈悲など一粒も含まれない。
死なれる前に殺したまでの話だった。
神楽の言葉に微かに目を見張るや、相手はくつくつと喉の奥を震わせた。
何が彼の琴線に触れたのか、至極楽しそうに頬を緩めている。
薄い唇から零れた牙のような犬歯が、妙に気になった。
「それよりも……。貴方、どこの所属です」
「あぁ?」
「同業者でしょう。ターゲットが被るなんてこと、二度はご免です。再発を防ぐために、そちらの組織に連絡を入れます」
最初こそ標的の護衛と勘違いをしたが、彼は間違いなく神楽と同じ職に就く人間だ。
組織ごとに差はあるものの、暗殺者ギルドは総じて横の繋がりが強い。
今回のようなブッキングは稀有なケースだった。
「生憎、組織には入ってねぇな」
「フリー、ですか? 面倒ですね」
あっさりとしたセリフに神楽の柳眉が寄せられる。
フリーの暗殺者に犯行現場に踏み入られたとなると、ギルドの面子の問題になる。
組織間ならば連絡の行き違いで済む話が、対個人となると縄張りを荒らされたことになるのだ。
余所者をのさばらせないために、相手の刺客には相応の制裁を加えるのがセオリーだが。
神楽は重苦しい嘆息を吐き出した。
「後ろ盾もないくせに割り込んだんですね」
「だったらなんだ」
「それがどのような結果を生み出すか、理解されていますか」
一段潜めた声で告げる。
だが、それが何の脅しにもならないことは分かっていた。
神楽では、彼に勝てないのだ。
案の定、男は笑みを深めるだけで、武器を構えようとすらしない。
「私の手間が増えるんです。どう足掻いたって私と貴方の戦闘能力の開きは埋まらない。けれど、組織のために貴方を見逃すわけにもいかない」
「捨て身でやってみるか? 相手、してやる約束だろ」
「どうして私が勝機の見えない闘いをしなければならないんです。貴方のランスの形状を確認させて下さい。私が似た獲物を揃えれば問題解決です」
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