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ぐらぐらと揺れる頭を叱咤し、必至で事態を把握しようとするものの、全身に響き渡る防衛本能の警鐘に思考が邪魔をされる。
脳内の混乱を収めるべく、密かに深呼吸を繰り返す神楽に、男はにやりと口端を吊り上げた。
「諦めろ。お前じゃ俺に勝てねぇよ」
「……」
「わかってんだろ」
暗殺者としてのキャリアは決して短くない。
ギルドで育った神楽は幼い頃から人を殺す術を叩きこまれ、数えるのも馬鹿馬鹿しいほどに多くの依頼をこなしてきた。
侮辱的な発言にプライドが刺激されなかったのは、男の言うとおりだからだ。
実力があるからこそ、痛感する。
向き合って立っているだけで、その獰猛な迫力を感じずにはいられない。
目の前の男は、数多の修羅場を潜り抜けて来た神楽ですら、比較にならぬほど強い。
刃を交わせば、どちらが命を落とすかなど考えるまでもなかった。
神楽は己の胸から響く冷たい鼓動を、耳の奥で聞いていた。
「それとも、相手して欲しいのか?」
男の双眸がゆらりと輝いた。
ゾクリッと背筋を駆け抜けていったのは、恐怖だろうか。
神楽はどうにかナイフを握り直し、抗戦の意思を示す。
そんな態度とは裏腹に、回転の速い頭脳は活路を探るべく、素早く現状を分析していた。
ふと目についたのは、床に倒れ込む標的の男だった。
護衛が現れたにも関わらず、彼は唇を戦慄かせている。
青ざめた顔もそのままで、傍らに立つ長身の男を見上げる目には希望の欠片もない。
なぜ。
疑問が解決されたのは、次の瞬間である。
「こいつを片づけたら、たっぷり相手してやるから待ってろ」
「なっ……!」
頑なに沈黙を守っていた暗殺者の唇から、驚愕の一音が飛び出す。
男は腰のホルスターから伸縮式のランスを取り出すと、迷うことなく神楽の標的へ、その切っ先を突き立てたのである。
「がっ……ごふっ」
胸を穿たれた標的は眼窩から零れそうなほど目を剥いて、口から鮮やかな紅を吐き出した。
ひゅっ、と空気の抜けるような奇妙な呼吸音は、肺に穴が開いたせいだ。
息をしようにも酸素が取り込めず、喉にせり上がる血液でさらに呼吸が妨げられる。
絶命のときまで苦しみは続き、後に残る死体は醜い形相となる。
じたばたと床をのたうつ男は、汗と涙と血でぐちゃぐちゃになった顔で、ランスの主を見上げていた。
「っ!」
神楽は素早く手を翻した。
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