C
穂積は優しい。
抵抗を続ける千影を、心配している。
気付かないとでも思ったのだろうか。
リタイアをしなかった日から、穂積が毎日ここへ通って来ては、何かしら話をしていく理由に。
現われる度に、わざと時間に則した挨拶をして、千影の時を動かし続けていることに。
最初は、懐柔するための戦法かとも考えたが、日に日に募る穂積の焦燥にも似た不安の声に、勘繰るのを止めた。
独房は精神に悪影響を及ぼすだけでなく、不衛生で身体へ害をもたらす可能性も非常に高い。
「生きているか」という言葉が、冗談で済まなくなるかもしれない。
自分で提案した賭けにも関わらず、穂積は非情になりきれないのだ。
今もほら。
「……俺は、お前をここから出したい」
冷酷になれない。
その本質を、隠し切れない。
「だから、早く負けを認めろ。認めてくれ」
優しい人。
とても、優しい人だ。
千影の唇が緩む。
綻んだ表情は暗闇に満たされた室内に閉じ込められ、誰の目に触れることもない。
「俺は、貴方に助けられてよかったのかもしれない」
「どういう風の吹きまわしだ」
「本気ですよ」
「……千影?」
訝しげな呼びかけに、答えは返さなかった。
波の音が聞こえる。
塞がれた視覚に変わって、聴覚が鋭敏になっているせいだろうか。
己の鼓動の音が、波音と共にやけに耳につく。
ゆっくり、ゆっくり、命の拍動を刻んでいる。
闇しか映さぬ瞳を目蓋で閉ざすと、千影はまどろみに沈み始めた。
「千影?おい、千影っ!?」
扉の外で、穂積の叫ぶ声がする。
研ぎ澄まされたはずの耳は、何故か彼の声だけを遠くさせた。
「千影、千影っ!」
必死に繰り返される己の名に、あたたかな気持ちが冷えた身体を包み込む。
賭けに勝ったら陸に戻ろう。
そのまま軍に向かって、退役してしまおう。
そうしてまた、この船に引き返すのだ。
海賊になるつもりはさらさらないけれど、穂積と話す時間はとても心地が良かったから。
次は顔を合わせて、太陽を仰ぐ甲板で話をしたい。
意識を手放す直前に聞こえた鐘の音は、賭けの終了を告げていた。
fin.
→補足。
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