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咳き込む千影に、姿なき男の動く気配がする。

「大丈夫か?」
「心配してくれるなら、俺をさっさと解放してもらいたい」
「解放して欲しいなら、さっさと降伏すればいい」

素直な気持ちを伝えれば、相手は素早く切り返して来た。

奇妙な間が空いたのは、これがすでに何度目になるか数えるのも馬鹿らしいくらい、繰り返された会話だったからだ。

この後に続くやり取りも、定型文になりつつある。

「海賊の手下になる気はない」
「仲間を見捨てる正義の組織に、未練などないだろう」
「一海兵のために動くほど暇じゃないんだ」
「俺は自分の仲間を見捨てたりはしない」

きっぱりと言い切った強い言葉に、用意していたセリフが喉につっかえる。

今度こそ本当に沈黙した千影の脳裏に、数日前の出来ごとが蘇った。

千影は帝国海軍に所属する航海士だ。

それも少々特殊な兵科に所属しており、下される命令の大半は極秘任務。

少数精鋭で破壊工作を行ったり、敵地へ内偵調査に入ることも多い。

乗船していた小型船が沈没したのは、無事に任務を遂行し帰港する海路でのことだった。

突然の嵐に乗じて起こった捕虜の脱走。

荒ぶる波に翻弄される甲板の上で、剣戟を打ち鳴らしていたとき、誤って海へと転落してしまったのが運の尽き。

そのまま海の藻屑とならなかったのは、海兵である千影からすればそう言わざるを得ない。

千影が目を覚ました場所は、帝国領にも名を馳せる海賊船の一室だったのだ。

「掠奪者が何を言っても信用できない」
「そういうお前は、正義の使者きどりか」
「それの何が悪いんだ。今の世の中が海軍を正義と認めるなら、俺もその一粒だ」
「一粒、か。理解しても尚、国に身を捧げるとは……」

扉越しでも分かる、苦み走った声音に瞳を伏せた。

千影とて海軍が身を包む白い軍服のように、綺麗なだけの組織とは思っていない。

国を守る役割を担っている以上、表沙汰に出来ないことはいくらでもある。

何より、千影はその汚れた部分を課せられていたのだ。

大義のために一を切り捨てることくらい、当たり前だと承知している。

海軍は千影を殉職者として処理するだろう。

少しも探さず、生きている可能性があろうと無視して。
恨む気持ちはない。

ただ、甲板で足を滑らせた間抜けな自分を責めるだけだ。

奥歯を食いしばり、内側に沈みこんでいた意識を浮上させたのは、扉の向こうに立つ男の一言だった。

「お前、馬鹿だろう」
「は?」
「もうお前は海軍じゃないんだ。意地を張っていたところで意味はない」
「だからって海賊に落ちぶれる理由もないっ」
「首を切られた分際で、俺たちを落ちぶれると言うのか。自分の立場も分からないほど愚かとは予想外だ」
「犯罪行為に走ることを、落ちぶれる以外にどう表現すればいいのか分からないだけだ」
「……」
「……」




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