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昨年の十二月に、彼ら前生徒会は任期を終えた。

我が物顔で部屋に入って来た穂積だが、もはや碌鳴館の主は彼ではない。

引き継ぎは滞りなく済んでいたし、ここを訪れた理由が思い当たらなかった。

「お前がいるかと思って近くまで来たら、灯りが点いていたからな」
「会いに、来てくれたんですか?」

僅かに驚いて顔を上げれば、漆黒の瞳が待ち伏せをしていて、正面から視線がぶつかった。

穂積の指先が、度の入っていない黒縁眼鏡をそっと外し、二人の間の隔たりを完全になくす。

「俺から行かなければ、会えないだろう。お前は妙な気遣いばかりするから」

仕方のないやつだ、と目で訴えられて、千影はこちらの内心が看破されている心地になった。

自分の我儘で穂積を煩わせたくないと思っていたこと。

多忙を極める穂積の身を心から案じていたこと。

仕事に没頭することで会いたい気持ちを抑え込んでいたこと。

そのすべてに、彼は気付いていたのでは。

あり得ないとは分かっていても、勘繰ってしまうほどに穂積の言葉は的確だった。

「忙しいって知っていれば、遠慮するのは当然だろ」

決まりが悪くて身じろげば、穂積の腕にぎゅっと力が込められた。

真綿で包むようだったそれが、千影の存在を確かめるが如く拘束力を強める。

「会長?」
「危うくお前の体温を忘れるところだった」
「あ……」

穂積は千影の肩口に顔を埋めると、紛い物の髪から覗く耳郭を愛撫するように、睦言を奏でた。

直接注ぎ込まれた恋情に、脳が、心が、揺れる。

心奥から広がる細波に似た痺れが、体中の力を奪って行くのを止められない。

「前にも言ったはずだ。お前なら、千影ならいつ来ても構わないと」
「け、ど」
「俺がお前に会いたいんだ」

拙い反論をする前に、穂積の囁きが耳元をくすぐった。

千影の白い頬がうっすらと色づき、罪悪感から自己否定を繰り返す理性もまた甘やかな色に染まる。

ただ仄かな熱で、内側がいっぱいになる。

緩んだ唇が、恥ずかしさを堪えて素直な気持ちを紡ぎ出すのは次のとき。

「俺も、です」
「ん?」
「俺も、会長の体温を忘れてしまうところでした」
「千影」
「忘れたりしないように、今、しっかりと覚え直します」

千影は学院に来てから、たくさんのものを手に入れた。

だから、孤独を知ったのだけれど、千影にその感情をもっとも強く感じさせた原因は、穂積だった。

会いたいと思えば思うほど、焦がれれば焦がれるほど、孤独感は強くなる。

寂しさが離れなくなる。

身体に刻まれた彼のぬくもりを、真実忘れることなどあり得ないのに、刻一刻と記憶から失われていく錯覚に切なさが募った。

生まれて初めて恋を体感した少年は、それがとても幸福で、同時に寂しいものであると知ったのだ。

寂しさを教えてくれた男に向かって、少年は幸せで彩られた笑顔を浮かべた。

穂積の瞳が瞠られて、暫時、動きが止まる。

間もなく動き出した彼が紡いだ一言は、簡潔だった。

「……鍵」
「え?」
「閉めておいて正解だな」
「は?……ってちょ、待っ……ん」

顎を取られたと思ったときには、溶けてしまうほどの熱量が、千影の唇を塞いでいた。

熱く、強く、優しく、甘い。

穂積だけの温度に、身体の内側から火を灯される。

驚愕に見開いた瞳をゆっくりと閉ざす頃には、千影の腕は穂積の首に回っていた。

幸福感が満ちて行く。

孤独な寒さを癒して行く。

胸を苛む寂しさが、魔王によって消えるだなんて、どんなおとぎ話にもない展開だろう。

優しい魔王は、きっと彼だけだから。

唇を触れ合わせたまま、千影は募る想いを音にした。



Fin.




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