C
穂積は愛おしげな微笑みを浮かべると、ぽんぽんっと自分の腰かけたソファの座面を叩いた。
それはまるで――
「おいで」
カッと頬に血が上った。
囁くような低音の誘いに、全身が一気に発火する。
身体の内側で鳴り響くリズムが速度を上げて、心臓が破裂してしまいそうだ。
隣においで、そう口にした男を見ていられなくなって、少年は勢いよく顔を背けた。
駄目だ、やっぱり駄目だ。
背筋がむず痒くなる空気には、未だに少しも慣れない。
恥ずかしくて、居た堪れなくて、息苦しくなる。
何より、逃げ出したくなるのだ。
かと言って、感情のままに全力で逃走できないことも、千影はよく分かっていた。
せめてもの抵抗とばかりに、閉じた喉を無理やりこじ開ける。
「お、れ……まだ仕事があるので」
「休憩は必要だろう?どうせお前のことだ、ろくに休みも入れていないんじゃないのか」
「それは……」
図星だった。
行動パターンを読まれているのも、今は悔しいというより恥ずかしい。
平時は簡単に言い返す文句を見つける頭は、当の昔に稼働を止めていた。
「まだ、そんなに疲れていないですから」
どうにか抗いの言葉を紡ぐものの、明らかに切れ味が悪くて焦燥が膨れ上がる。
こんな弱々しい態度で、穂積の攻撃を防げるわけがない。
案の定、千影の鼓膜はくすっと小さな忍び笑いを拾ってしまった。
「自分では意識していないだけだろう。集中力が切れていては、仕事も捗らない。一息ついた方がいい」
「大丈夫です、本当に、全然――」
「それとも、俺がお前の集中を途切れさせたか?」
遮った声音は、意外なほどに沈んで聞こえた。
違和感を感じ取って顔を上げれば、翳の差した穂積の面が視界に飛び込んで来た。
彼の言葉の意味を、理解する。
「俺が、邪魔をしたか?」
「ちがっ、会長のせいじゃありません!」
「真昼」
「え?」
「真昼だ。何度言えばお前は覚えてくれるんだろうな、俺の名前を」
一変して、わざとらしく呆れられた途端、気付く。
はめられた。
彼はこの会話の流れを。
彼の名前を千影に呼ばせる流れを作るために、寸前の殊勝なセリフを口にしたのだ。
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