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気紛れで穂積との約束を反故にするなんて、普通ではあり得ない。

そこまで考えて、ふと一つの可能性が浮かんだのは、当然と言えば当然だった。

「……会食相手って、もしかして篠森会長ですか?」
「あぁ、言ってなかったか。自分から声をかけて来たくせに、まったくいい性格をしている」

なるほど、家柄や能力など関係なく、確かに大物だ。

篠森ならば気分一つで穂積との約束くらいすっぽかせるだろう。

ネクタイを無造作に緩める男の、顰められた表情に、光は呆れ交じりの笑みを浮かべた。

「篠森会長と約束なんて、珍しいですね。どうしたんでしょう」
「さぁな、あいつの考えることなど分かるか。だが、早く帰れたのはよかったな」
「最近、毎日のように外出していますもんね。今日はもう休んだらどうですか。顔が疲れてますよ」

こうして穂積と二人きりで過ごすのは久しぶりだ。

互いに仕事に追われて時間が合わず、たまに顔を合わせても、誰かしら別の人間が一緒にいることばかりだった。

穂積の身を思えば部屋を訪ねるのも憚られたし、光自身も余裕があるわけではなかったから、随分と長い間、まともに会話もしていなかった気がする。

本音を言えば、もう少し二人だけの時間を楽しみたい。

それでも、疲労の色が濃い穂積を目の当たりにすれば、光の唇は自然と気遣いのセリフを紡ぐのであった。

少年の提案に、男はすっと視線を寄越した。

「……お前は?」
「え、俺ですか。まだもう少し残るつもりです。今日中に上がりそうなものが、いくつかあるので」
「期日が近いわけじゃないんだろう」
「そうですけど、片づけておく分には安心かなって」

そう言ってちらりとデスクに目を走らせたとき、穂積の声が静かに名を呼んだ。

「千影」
「っ……!」

少年の、本当の名前を。

今さら反応することではないと分かっていても、いつも最初は緊張してしまう。

どくんっと派手に高鳴った心臓がうるさい。

顔を俯けたまま硬直していても、注がれる視線は明らかで、体温がじわじわと上昇した。

ぎこちない動きで対面を窺うと、穂積は長い足を組んだまま、真っ直ぐに光を見つめていた。

黒曜石の双眸に甘い蜜のような想いを受け取って、喉の奥がきゅっと締まる。




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