A
「情けなかったのは、前までの俺かな」
落とした自嘲の呟きは、風が止んで静寂を取り戻した空間に消えて行った。
あぁ、この身に染みる感情は、自分にとってとても幸せだけれど、やはり問題だ。
光は落ちつかない不安定な気持ちを自覚して、暖房のきいた室内で知らず二の腕を擦っていた。
募る孤独感に歯止めをかけたのは、前触れもなく開いた執務室の扉だった。
「なんだ、まだ残っていたのか」
「え、会長……?」
現われた男は、大窓の前に佇む少年に、少しだけ驚いた顔をした。
だが、驚いたのは光も同じだ。
見慣れた制服姿ではなく、仕立てのよいスーツを纏った穂積 真昼の登場に目を瞬かせる。
「どうしたんですか、今日は仕事だって言っていたのに」
卒業が目前となり、三年生の登校日はほとんどなくなった。
これまでと比べるまでもなく増えた自由な時間のほとんどを、穂積は外出に利用している。
もちろん、仕事で。
穂積の卒業後の進路は大学進学だ。
しかし、それはあくまで対外用。
学歴を作るためだけに進学し、実際にはHOZUMIグループ後継者として本格的に実務に携わって行くことになる。
これまでもいくつかの関連企業を任されていたらしいが、今後はさらに仕事が増えるとのことで、今はその準備に奔走しているのだと、以前教えてもらった。
HOZUMIの関係で外出する日は、決まって夜遅くまで戻って来ないから、てっきり今日もそうだとばかり思っていたのに。
腕時計を確認した光は、まだ夕食にも早いくらいの時刻に、内心で首を捻った。
穂積は応接用とは名ばかりのソファセットに、疲れた様子で腰を下ろした。
「先方の都合で今夜の会食は急遽中止になったんだ」
平然とした説明に、しかし光はぎょっとした。
HOZUMIグループ後継者との約束を、土壇場でキャンセルするなんて、一体どんな都合だというのか。
いや、相手は一体どれほどの大物なのか。
穂積との関係が分からないので何とも言い難いが、場合によっては仕事に影響が出るだろうし、そうでなくともチャンスを逃したことになる。
彼と会食の約束をしていた相手が、心配になってしまった。
「何か急用だったんでしょうか」
「いや、気紛れだろう」
「き、気紛れ?」
眉を顰めてうんざりと言った穂積に、光はレンズの内側で目を丸くした。
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