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「簡単な話さ。司令官が変わったんだよ、レトニア支部のな」
「司令官、だと……?」
呂律の怪しい口調で繰り返すと、男は乾いた笑い声を上げた。
性質の悪い冗談を聞いたとでも言う風に、片頬を引きつらせる。
「馬鹿言うんじゃねぇ!軍のお偉いさんが変わったくらいで、この街がおかしくなるもんか。てめぇが言ったんだぜ、この街はそう変わりゃしねぇってな」
言い返された店主は、憐れむような目になった。
憐憫と皮肉が交じった複雑な表情を浮かべて、独り言のように言う。
「確かに変わりゃしねぇよ、そうそうな。けどよ、まったく変わらないなんてのも無理な話だったんだ。あんなのが来ちまったら、前と同じ犯罪都市のままじゃいられねぇのさ」
「お、おい……」
店主はさっと店内に目を配ると、酒で火照った顔を緊張させる男を、ちょいちょいと手招いた。
周囲に憚るように、ぐっと声量を落として忠告する。
「あんたも気ぃつけな。今まで通りじゃ、すぐに捕まるぞ。あの男……紡=真里大佐に」
「俺のこと、呼んだ?」
「っ!」
耳に滑らかな中低音が、場違いなほど朗らかに響いたのは、そのときだった。
一体いつからそこにいたのか。椅子二つ分だけ離れたカウンター席に、すらりとした人影はあった。
粗末なロングコートから伸びた長い足を悠然と組み、目深に被った鳥打帽から鮮やかなペリドットグリーンの双眸を覗かせている。
真っ白な手袋に包まれた掌を、ひらひらと気さくに振られた男たちは、唖然となった。
「こういう店のいいところは、顔を隠しても誰も怪しまないってとこだよな」
徐に立ち上がったその人影は、歌うように呟きながら、くたびれた帽子とコートを脱ぎ捨てた。
現われたのは、美しい若者である。
輝くプラチナブロンドの髪に縁取られた白皙の面は、華やかに整っている。
目鼻立ちのくっきりとした美貌は、性別の判断が容易には出来ぬほど中性的だ。
だが、均整の取れた痩躯が纏う黒い軍服は、女性のしなやかさや優美さとは程遠い、獰猛な気迫を醸し出していた。
頑強な意志を感じさせる強い光りを瞳に灯し、その人物――紡=真里は豊かな表情を演出する唇を開いた。
「レトニア支部だ。後ろ暗いことのない奴はその場で制止!動いた奴は……」
「ちっ!」
警告を最後まで待たず、カウンターの男は素早く身を翻すと、他の誰も動かぬ中で、一人出口へと駆けだした。
その節くれだった指がドアノブにかかる前に、外側から扉が開かれる。
「どけぇ!」
店内の非常事態と相反するように、のんびりとした歩調で入って来た長身の人影に向かって、男はよく使い込んだダガーナイフを取り出し、そのまま突っ込んだ。
怜悧な切先が肉を穿つと、誰もが思った瞬間、男の視界は反転した。
「え……?」
ナイフの柄を握る手首を取られ、投げ飛ばされたのだと気付いたのは、背中から床に叩きつけられて数秒の後だ。
混乱した男は目を白黒させて、扉の前に立つ人物を見上げた。
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