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あっと言う間に物置部屋の光りが遠ざかり、薄暗闇に呑み込まれる。
「おい待て、水無月」
「何かあったときは俺が盾になります」
酒場の前でのやり取りを持ち出され、紡は顔を顰めた。
石造りの階段に靴音を鳴らしながら、カンテラの明りに浮かぶ橙色の頭へ小さく文句を投げつける。
「……まだ何も起きてない」
「起きてからじゃ俺が困ります。さっきの物置だって何で先に入っちゃうんです」
「罠だったらどうする」
「大佐は分かってて言うから性質が悪いんだよなぁ」
水無月は前を向いたまま、独り言のように吐き出した。
レトニア司令部の新司令官は、この犯罪都市に現れた救世主であり治安回復の象徴だ。
万一、紡の身に何かあれば、改善に向かい始めたレトニアは瞬く間に以前の有様に戻るだろう。
紡は警察軍の一地方司令官という以上の役割を担っているのだ。
敵地の只中で部下を背に庇うなど、許される身ではない。
だが、紡は自らに課せられた義務も責任も理解して尚、最前線に出ようとする。
先刻のことだけではない。
事件現場に率先して赴き、手掛かりが足りないとみれば危険なことであろうと自ら行おうとする。
その度に特別捜査班の二人が思い留めようとするものの、成功率は高くはなかった。
「でも、今回ばかりは俺も引きません。諦めて下さい」
きっぱりと言い切られ、慎重な足取りで階段を下りていた紡は口を噤んだ。
どうせこの道幅では、彼を追い抜かすことなど出来ない。
カンテラの炎が照らしだす一本道は、階段が終わりを迎えても狭いままだ。
長く伸びた通路の果ては見えず、どこまでも闇が続いている錯覚に陥る。
石造りの壁に二人の影が写し出され、不気味にその身をくねらせている。
自然と沈黙が落ち、硬質な足音と衣擦れの音だけが空間を支配した。
どれだけの時間が経っただろう。不意に水無月が足を止めた。
「どうした」
「上り階段です」
緊張を帯びた声に、紡は背筋が伸びるのを感じた。
下りと同じく足元に気を付けながら水無月の後を上って行く。
「……あの、大佐」
「なんだ?」
「やっぱり先に行ってくれても――」
「さっさと歩け」
土壇場で何を言うかと思いきや。
ぎこちない口調を遮って一蹴した。
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