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「生憎、俺には男と見つめ合う趣味はないんだよ。俺の後ろの人みたいに美人なら兎も角な」
注がれる敵意をあっさりと受け流し、水無月は軽い口調で嘯いた。
安い挑発は大柄の男の表情を崩しはしなかったが、他の人間には有効だった。
二人を取り囲む男たちの間に、怒気が走る。
彼らが腰の獲物を引き抜く前に、水無月は態度を一変させた。
甘く整った顔から笑顔を消し、切り込むような眼光で前だけを見据える。
「試しているのかもしれないが、それはお前らの役目じゃない。何を優先させるべきかの判断は出来るだろう」
「……」
「俺ら下っ端は上の命令通りに動くだけだ。違うか?」
臨界点ぎりぎりに到達した空気。
時間が止まった気がした。
沈黙を終わらせたのは、大柄の男だった。
彼はふいと背を向けると、店の奥へと歩き出した。
「……ついて来い」
低い呟きは、第一関門の突破を示していた。
周囲の男たちが殺気を収め、渋々と引き下がる。
水無月の寄越した得意げな視線に、紡は口角を持ち上げて応えた。
今にも破裂しそうだった空気が弛緩するのを感じつつ、男の後を追う。
大柄の男はカウンターの横にある扉を開くと、顎で進むよう促した。
足を踏み出しかけた水無月を制して、紡が先に入る。
通された部屋は物置として使用されているようだった。
いくつかの酒樽や用品棚が、壁に寄せて置かれている。
その配置の仕方に違和感を覚えていると、男は左端の棚の前で立ち止まり、乱雑に並んだ荷物を左右に押しのけた。
荷物の陰に隠れていた取っ手のようなものが姿を見せ、それを手前に目いっぱい引く。
途端、ギギッと鈍い音が鼓膜を突いた。
足元の床板がぐらぐらと揺れて慌てて壁際に飛び退けば、部屋の中央部分の床が四角く切り取られ、ゆっくりと口を開いて行く。
やがて現れたのは地下に通じる階段だった。
「これはまた、大層なもんを……」
傍らから聞こえた水無月の呆けた声に、紡はこくりと頷いた。
随分と大がかりな仕掛けを作ったものだと、感心半分呆れ半分に見下ろす。
階段は暗く、最初の数段しか確認できない。
幅も狭く人ひとりが通れる程度だ。
棚の奥にあった取っ手は、この隠し階段を開けるためのスイッチなのだろう。
しばし呆然と立ち尽くす二人に、男はずいとカンテラを突きだした。
この先は案内なしということか。
表情を引き締める紡の前で、水無月はさっさと明りを受け取るや階段を下り始めた。
大佐はぎょっと目を見張り、急いで部下の後を追いかけた。
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