第三章:ヴィレン。
「なんだって俺まで……」
先を歩く長身の背中から聞こえた呟きは憂鬱だった。
これみよがしな溜息と共にがっくりと両肩が下がる。
南地区の南東を走る迷路のような路地裏は、昼前だというのに薄暗く、漂う空気は陰鬱だ。
警察軍の軍服さえ身につけていなければ、その絶望に打ちひしがれた姿はこの場によく馴染んだことだろう。
一つに束ねた夕焼け色の長髪を眺めながら、紡は当たり前のように言った。
「仲介役は水無月だろ? 留守番できるとでも思ったのか」
「予想はしてましたよ、どうせこんなことになるんだろうって。だからって愚痴の一つもなしにお供できるほど達観してないんです」
【残響】との繋ぎがついた、と報告を受けたのは今朝の話だ。
水無月が優秀なのは知っていたが、まさか昨日の今日で狡猾と名高いヴィレンとの面会を取り付けるとは思いもしなかった。
珍しく二日酔いでないのは、昨日は酒を飲む暇もなかったからだろう。
相当、無理をしてくれたに違いない。
「あー、珠羅が羨ましい! 俺だってたまには留守番したいんですけど」
だが、【残響】のメンバーと落ち合う場所はもう目と鼻の先だ。
ここにきて文句を言う部下に、慰労の気持ちはあっさりと吹き飛んだ。
紡の眉間にしわが寄る。
「うるさい、目立つだろ」
「この格好ってだけで十分に目立ってますよ」
水無月の指摘通り、先ほどから突き刺さるような視線を感じている。
路地裏は閑散としており人気はないが、闇の住人たちが姿を潜めて紡たちの様子を窺っているのは明らかだ。
南地区の半ばともなれば、一般人は勿論のこと軍人が足を踏み入れる機会も多くはない。
訪れるにしても変装をする場合がほとんどで、軍服姿の紡たちが悪目立ちをするのは当然だった。
「着替えた方がよかったんじゃないですか? 組対の連中はそうしてますよ」
軍服姿では警察軍だと宣伝して歩くようなものだ。
住人たちの警戒心を刺激したために、襲われる危険性もある。
チラリと視線をくれた部下に、しかし紡は首を振った。
「着替えたところで意味はない。どうせこれから会うヤツらから、俺たちのことは流れるんだ。下手に変装でもしてみろ、痛くもない腹を探られるのがオチだぞ」
紡は特別捜査班の班長である前に、レトニア支部の司令官だ。
過去、その任にあった者の多くは、不正による私益の追求に走っていた。
身分を隠してヴィレンと接触すれば、紡も前任者と同じく悪しき計略を廻らせていると疑われかねない。
味方に不信を生めば、敵に隙を作ることに繋がる。
紡は軍服姿でいることで自身の明確な立場を主張し、後ろ暗いことはないとアピールしているのだ。
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