「面倒なことになりそうだと思って」

信用に欠く人物から信用に足る情報を得られる可能性がある。

なんて、ややこしい事態は考えるだけでうんざりだ。

重量感溢れる呼気を吐きだすと、即座に的確なツッコミが入った。

「ものぐさな紡にとったら、何でも面倒じゃないの」
「誰がものぐさだ」
「あなたよ、私生活を振り返ってみれば明らかじゃない。仕事まで面倒に思ったらおしまいね」
「……なんか、棘がないか?」
「あら、ごめんなさい。八つ当たり」

にっこり。

役人や商人、ヴィレンさえも虜にする魅惑の笑顔を浮かべて、里桜は理不尽極まりない理由を口にした。

空気のように軽い謝罪に、文句を言う気も起きない。

里桜は笑みを浮かべたまま、赤い口紅に飾られた唇で続けた。

「お客さんに約束をすっぽかされちゃったのよ」

何てことはない、有り触れた愚痴のようにも聞こえるセリフ。

だが、それは紡にとって有用な情報であった。

紡は何気ない調子で話に応じた。

「そりゃあ残念だったな。得意客なのか?」
「とっても羽振りのいいお得意さんよ。その業界じゃ有名人みたい」
「なら、忙しかったんだろう。仕事が立て込んでいたのかもしれない」
「かもね。最近はあまり来ていなかったし」
「最近?」
「えぇ、二カ月くらい前からかしら。よく何人か部下の方を連れてきていたけれど、その人たちも見ていないのよ。売上が落ちて大変だわ」

言葉とは裏腹に、里桜の表情は崩れない。

含みのある瞳が上目遣いで紡を見やる。

「少し、話過ぎちゃったかしら」

紡は肯定も否定もせず口角を持ち上げると、テーブルの上のカップに手を伸ばした。

まだ湯気の昇る紅茶を一気に飲み干し、ソーサーへ戻すと同時に席を立つ。

「忙しいだけならいいけど、よその店に持って行かれないように注意はしとけよ」
「あら、私が捨てられるとでも思ってる?」
「念のためだ」
「余計なお世話よ」

くすくすと軽やかな笑い声を背中で受け止めながら、紡は部屋を後にしようとした。

ドアノブを掴んだ手が止まるのは、次のときである。

「紡がこの街に帰って来てから、随分と治安がよくなったわね」

寸前までの楽しげなものとは異なる、どこか硬質な里桜の声。

緊張と不安で彩られた音色は、新司令官の仕事ぶりを称賛しているわけではない。

彼女の言いたいことを、紡は正確に理解した。

だから。
「ねぇ、紡が大佐に落ちてまでレトニア支部の司令官になったのって――」
「里桜」

紡は問いかけを遮った。

押し留めた言葉が再び流れ出す前に、背後へと微笑みを向ける。

「中央でジジイ共の相手をするのに疲れただけだ」

安心させるために口にしたセリフは滑らかで、かえって空虚に響いた。

訪れた不自然な沈黙に取り繕った表情が崩されてしまう前に、紡は凍りついた手を動かし扉を開いた。

足音を消して裏口を目指す。

いくつかの部屋の前を通り過ぎながら、紡は溜息を呑みこんだ。

この扉の向こうでは、男たちが快楽と言う名の刹那の夢に溺れているのだろう。

だが自分は逆だ。

この娼館にやって来るたび、現実を突きつけられては後悔を募らせている。

艶やかな美貌を翳らせ、痛ましげに自分を見つめる幼馴染の姿は、『夢野園』を出てもまだ脳裏から離れずにいた。




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