「凶器所持の現行犯に公務執行妨害だな、おっさん」

長身を屈めてにやっと笑ったのは、夕日を思わせる赤髪の青年だ。

彼は人好きのする表情を歪めて、男の向こうへと文句を放つ。

「大佐ぁ、言いだしっぺは自分なんだから、人にやらせないで下さいよ」
「悪いのは最後まで聞かなかったそいつだろ。動いた奴は水無月が逮捕する、って続くはずだったのに」
「警察の話を大人しく聞く犯罪者がどこにいるよ……」

平然と言い返されて、水無月と呼ばれた青年はがっくりと肩を落とした。

垂れた目尻が特徴的な甘く整った顔立ちと、肩まで伸びた癖っ毛を一つに束ねた姿は、遊び慣れた今時の若者に思える。

しかし鍛えられた身が纏うのは、先ほど目にしたばかりの軍服だ。

警察であることを誇りかに主張する漆黒の軍服に挟まれて、激しく狼狽する男の背中に、どこか楽しそうな声がかかる。

「まぁ、ともかくだ。指名手配犯の白土竜だな?お前を麻薬密売容疑で逮捕する」
「っ……」

紡の語る罪状は、しかし極限状態に陥った男の耳には届かなかった。

すっかり酔いが醒めて、床に這いつくばったまま忙しなく視線を彷徨わせる。

どこかに逃げ道はないか。この場から脱出できる活路は。

そこでようやく、彼は周囲の違和感に気が付いた。

この酒場にいる誰もが何がしかの罪に問われているはずなのに、逃走を図ったのは自分一人。

他の客たちは皆、各々の席でじっと身を固くしているのだ。

我先にと出口へ殺到することも、たった二人の軍人くらい始末してやろうと武器を出すでもなく、息を殺して嵐が過ぎるのを待っている。

明らかに変だ。

半年前ならば考えられない。

本当にこの街はおかしくなってしまったのか。

まるで別世界に迷い込んだかのような面持ちで、愕然となった白土竜は、突如として上がった奇声で正気を取り戻した。

「うあぁぁぁ!」

畏縮していた客の一人が、腰の長剣を引き抜いたのである。

堪え続けた不満を爆発させ、無防備な紡に勢いよく斬りかかった。

「やめろっ!」

切迫した水無月の声が酒場に響く。

パシンッと、何かを張る乾いた音に次いで宙を舞ったのは、金髪の生首でも鮮やかな血飛沫でもない、銀色の長剣。

持ち主の手から弾き飛ばされた剣は、弧を描きながら回転し、騒ぎに乗じて逃走しようとした白土竜の足元へ着地した。

「ひっ……!」

男の喉から情けない悲鳴が漏れる。

あと一歩、前に踏み出していたら足を貫かれていたところだ。

恐怖で膝が笑い、白土竜は再び床に座り込んだ。

パシンッ、パシンッと革で叩くような音が鼓膜を打ち、白土竜はぎこちなく背後を振り返った。

「水無月、俺の心配するより被疑者の確保しっかりやれよ」
「……大佐の身を心配したんじゃなくて、無鉄砲な馬鹿野郎を心配したんですよ」
「俺のシマを荒らしたヤツに情けなんて必要ないだろ?」

動揺の欠片も見当たらない平然とした表情で、部下に釘を差した軍人が握る柄からは、細長い縄状のものが伸びている。

手首のスナップに合わせて床板を跳ねる艶めかしいそれに、白土竜はごくりと喉仏を上下させた。

「む、鞭?」
「悪趣味だよなぁ、うちのボスの武器。どこの店の女王様だっての」

小声で返された水無月の揶揄に笑うことなど、どうして出来よう。

紡の後ろには、鼻から血を垂れ流して伸びている男と、畏怖にも近い感情で顔面を蒼白にしている客がいるのだ。

荒くれ者たちが集う酒場が、今や非力なネズミの巣のようだった。

間違いない。やはりこの街はおかしくなったのだ。

自分のいない間に、魔物が入り込んだのだ。

悪の都を正そうとする、恐ろしい魔物が。

白土竜は震える声で言った。

「お前ら何なんだ……この街で何をしようってんだ!」

投げつけられた疑問符に、紡は何を今更とばかりに柳眉を持ち上げた。

簡潔な回答が奇妙な沈黙を強いられた酒場に落とされる。

「清掃活動」

唖然となった男の前で、世にも美しい魔物は鮮やかな笑みを作った。




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