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授業時間中の本校舎は閑散としていた。
人の気配は遠く、静まり返った廊下に一人分の靴音がよく響く。
穂積 真昼は手に数枚の書類を携え、昇降口へと進んでいた。
新生徒会役員が決まり、引き継ぎ期間も間もなく終わりを迎える十二月。
仁志 秋吉に職務の大半を譲り渡しても、なお多忙を極める現生徒会長が、校舎に赴くのは珍しい。
日々、生徒寮と碌鳴館の往復に終始し、稀に足を向けても食堂を利用する程度。
事務に用がなければ、今日も常と同じく執務室で一日を過ごしていただろう。
穂積は受け取ったばかりの書類に目を通しながら、律動的な歩調で革靴の音色を奏でていた。
鼓膜に別の足音が触れたのは、そのときである。
目線を持ち上げれば、覚えのある後ろ姿が視界に飛び込んで来た。
真っ黒な髪と華奢な体躯。白い皮膚とすらりと伸びやかな四肢。
碌鳴指定の白いジャージと濃紺のハーフパンツ姿で前方を行くのは、穂積の恋人にして新生徒会役員の長谷川 光に相違ない。
「長谷川」
「え?」
穂積の呼びかけに振り返ったのは、思った通りの人物であった。
光は一瞬だけ驚いた表情を見せた後、嬉しそうに頬を緩めた。
彼が穂積との遭遇に何を感じたのか。
考えるまでもない。
「お疲れ様です、会長。どうしたんですか? 本校舎にいるなんて珍しいですね」
「事務に用があってな。お前こそどうした。まだ授業中だが……サボりか?」
「楽しそうに言わないで下さいよ。生憎、処分を受けるようなことはしていません」
単に光の反応に浮かれていただけなのだが、相手はそれを別の意味で取ったらしい。
呆れたように牽制される。
穂積は内心で苦笑しつつ、問いを次いだ。
「ならどうしてここにいる、体育だろう。もう終わったのか」
「いいえ、まだですよ。ストップウォッチが壊れたので、新しいものを職員室から取ってくるよう言われたんです」
光は淀みなく答えると、ストップウォッチを掲げて見せた。
そのさり気ない仕草のどこにも、おかしな点はない。
だが、穂積は彼の自然な態度に不信感を覚えた。
果たして本人は気付いているのだろうか。
光は隠しごとをするとき、隙のない完璧な受け答えをするということに。
「そうか、なら早く戻れよ」
「分かりました。会長も仕事、頑張ってください。じゃあ、また放課後」
「……」
「……」
「…………」
「…………あの、行かないんですか」
笑顔のまま見つめ合うこと数秒、光が窺うように言った。
別れの挨拶をしたというのに、互いに動き出そうとしないのだから当然だ。
眼鏡の奥から覗く上目遣いの瞳には、訝しげな色が滲んでいる。
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