無意味な悪あがきだ。

すでにラストオーダーの時間は過ぎており、賑わっていた店内も静まり返っている。

どれだけ名残惜しくても、現実を無視するわけにはいかなかった。

光は今にも溢れ出しそうな本音を堪え、理性を口にしようとして――。

「気に入ったのは、料理の味だけか」
「え?」
「ここは夜景も売りの一つなんだが、楽しめたか?」

唐突に切り出されるも、すぐに得心する。

穂積のいう通り、上階に位置するこのレストランは展望が利く。

城下町の華やかな夜景は、セールスポイントとして充分だ。

光は「もちろん」とばかりに頷いた。

「眺めのいい席でラッキーでしたね。すごく綺麗で、ずっと見ていたいくらいでした」
「なら、そうすればいい」

穏やかに凪いでいた黒曜石の双眸に、ゆらりと熱情が過る。

思ったときには、光は手を取られていた。

抗うほどでもなく、かといって逃げ出せるわけでもない力加減でエスコートされ、レストランから連れ出される。

予想外の事態に混乱する光が口を開けたのは、エレベーターに押し込まれてからだ。

「会長? いきなりどうしたんですか」
「なんだ、もう呼び方を戻すのか。先輩でもさん付けでも、好きに呼べばいい」
「からかわないでください。そうじゃなくて、どこに行くつもりなんです。俺、もう帰らないと門限が――」
「帰るのか?」
「っ……!」

穂積の唇は緩やかな弧を描いていた。

けれど、注がれる眼差しは少しも優しくない。

建前で覆い隠した光の願望を暴くような、鋭い眼光が胸に突き刺さる。

人目がないのをいいことに腰を引き寄せられ、視線とは裏腹に優しい掌が頬を包み込む。

同時に、長い指先が戯れのように皮膚の上を滑り、耳朶を掠めて眠る官能を呼び起こす。

穏やかな微笑みと愛おしさを携えた手。

獰猛な灼熱を孕む双眸と、誘惑的な指先。

艶に濡れた低音が、少年の鼓膜を揺らす。

「帰りたいのか、千影?」
「……卑怯だ」

男の腕の中で、千影は喘ぐように零した。

まるでハニートラップ。

恋した相手に全身で求められては、抵抗のしようもない。

明日も仕事がある。

彼の体調だって気がかりだ。

けれどもう、隠しきれない。

否、隠していたくなかった。

千影は縋るように穂積の胸へ手を添えると、本音にかけた理性の鎖をそっと外した。

「帰りたく、ない」

瞬間、穂積の唇が落ちてきた。

強引に捻じ込まれた舌先に、驚愕よりも歓喜を覚える。

いつになく乱暴な口づけは、余裕の表情に隠れていた彼の本音を教えてくれる。

デートの終幕を惜しんでいたのは、焦がれる想いを抱えていたのは、千影だけではないのだと。

邪魔とばかりに眼鏡を剥ぎ取られる

奥深い場所まで突き進まれ、息苦しさに涙が滲む。

口角からどちらのものとも知れない唾液が滴り、ぶるりと身体が震えた。

執着を宥めるが如く浅い箇所を探ったあと、ようやく穂積はキスを解いた。

魂を喰らわれた心地で呆ける千影に、くすりと笑みを漏らす。

いつの間にか到着していたエレベーターの扉を開け、脚に力の入らない千影を支えてフロアに出る。

真紅の絨毯が敷き詰められたホールには、目の前に両開きの扉が一つあるだけだ。

霞みかかった思考が一時的に正気付き、千影は熱が残ったままの唇で問うた。

「スイートルーム……?」
「このホテルはレストランだけじゃなく、客室からの眺めも売りなんだ」

ICカードで鍵を開けると、穂積は楽しげにドアノブを引いた。

「夜景が気に入ったと言ったな。なら、存分に堪能していくといい。一晩かけて、たっぷりとな」

それが口実であるのは、確認するまでもなかった。

翌朝、意識を取り戻した千影が最初に思い出すのは、宵闇に浮かぶ城下町の姿ではなく、穂積との甘い時間なのだから。


Fin.




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