「それでは、本日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございます。結果は、後日ご連絡致します」

別れの挨拶を互いに交わし、見送りを受けながらエレベーターに乗り込んだ。

扉が閉まる最後の瞬間まで口元にあった微笑みは、小さな箱が密室に変わった瞬間に、精緻に整った美貌から失われた。

代わりに浮かび上がったのは、疲弊し切った表情だ。

制服のネクタイを緩めるべく首元へ手をやって、慌てて我に返る。

エレベーター内の鏡で全身を確認して、僅かに乱れていた着衣を整えた。

ついでに崩れていた「碌鳴学院 生徒会副会長」としての顔を復活させたところで、エレベーターは一階に到着した。

一月のある日、光は制服姿で学院の山の麓に広がる町――通称「城下町」を訪れていた。

先に待つ行事で業務を発注する企業を選ぶにあたり、複数の会社のプレゼンテーションを受けるためだ。

これまでの選別で勝ち残った数社による合同プレゼンで、場所は城下町にあるホテルの会議室で行われた。

光の外に学院のスタッフが三名ほど同行したが、彼らはすでに別の仕事に向かっている。

何でも接待があるらしい。

うまく躱すことが出来ずに、企業の担当者たちに捕まっていた光は、くたくたに疲れ切っていた。

だが、それを表に出すわけにはいかない。

碌鳴学院の恩恵によって発展した城下町で、白いブレザーを知らない者はいない。

「制服」という学院の看板を背負っている以上、みっともない姿を衆目に晒してはならないのだ。

光はすっと背筋を伸ばすと、気合を入れてエレベーターを降りた。

ホテルのロビーは大勢の人で雑然としていた。

忙しなく立ち働くスタッフや旅行鞄を携えた宿泊客、光のように仕事で訪れただろうスーツ姿の人など様々だ。

上階には夜景の美しいレストランやバーラウンジがあるから、そこを目当てにしている客もいるに違いない。

「そういや、お腹空いたな……」

行き交う人々を観察していると、唐突に空腹を思い出した。

振り返ってみれば、忙しくて昼食を取っていなかったと気付く。

時刻は八時になるところなので、半日以上なにも口にしていないことになる。

「早く帰ろう」

光は寮内食堂のメニューを脳裏に描きながら、帰路を急いだ。

「長谷川?」

凛と響く低音に名を呼ばれたのは、ホテルを出る直前のことだった。

聞き慣れた声に振り返れば、予想通りの人物が驚きの表情で立っている。

「会長! どうしたんですか、こんなところで」
「それは俺のセリフだ。制服で外に出ているとは珍しいな」

そう言いながら近づいて来たのは、碌鳴学院の元生徒会長である穂積 真昼だった。

品の良い濃灰色のスーツにコートを身に付けた姿は、とても高校生には見えない。

まるで若手実業家といった風情だ。

「生徒会の仕事です。さっきまでここの会議室でプレゼンを受けていたんですよ」

簡潔な説明にも、穂積は頷いてみせた。

長年、生徒会役員として働いていただけあり、すぐに事情を理解したらしい。

「それで会長は? 確か今日は、HOZUMIの用事があるって聞いていましたけど」
「あぁ、ついさっきまでな」

HOZUMIと取引のある企業の役員と、顔合わせの会食があった。

そう話す彼の面に、光は疲労の色を見つけた。

表情こそ平時と変わらないが、目の下にうっすらと影が差している。

じっと見つめれば、相手は安心させるように微笑んだ。

「お前に言われてから、ちゃんと睡眠はとるようにしている」
「休息が疲労に追いついていなければ、意味ありません。クマが出来ていますよ」
「仕方ない。今、追いついたところだからな」
「え?」
「お前に会えた。……久しぶりだな」

嬉しさを隠しもせずに言われ、光は頬が熱くなるのを感じた。

生徒会を引退してからというもの、穂積はHOZUMI関連の仕事で日々忙しなく動いている。

挨拶回りや視察で学院を空ける日も多く、顔を合わせたのは数日ぶりだ。

偶然の出会いに対する驚きに代わり、光の胸にも喜びが広がった。

同時に、意識が「生徒会副会長」から「穂積の恋人」に切り替わる。

自然と緩む唇で「はい」と小さく返事をすれば、対面から注がれる視線が一層柔らかくなった。

このままいつまでも見つめ合っていたい。

そんな甘ったるい考えに陥りかけて、慌てて意識を正す。

二人がいるのはホテルのロビーだ。

卓越した容姿を持つ彼らに、すでにフロアにいた多くの人間の視線が集まっている。

現状を認識したのは光だけではなかったらしく、穂積の瞳がさり気なく周囲を見やった。

「――お前はもう帰るだけか?」
「え、はい。今日の予定は終わったので」
「なら時間はあるな。少し付き合え、夕飯はまだなんだろう」




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