嫌ではない、と思う。

今さら男同士を問題にするつもりはないし、いつかはその日が来るだろうと予想もしていた。

明日も仕事があるけれど、急ぎの書類はないからどうにでもなる。

断る理由はない。

ない、のだが。

千影は大きく深呼吸をして身体の熱を逃がすと、意識的に優しい口調で言った。

「――会長、眠い?」
『…………ん』

聞こえて来た小さな音に、全身から力が抜けた。

がっくりと肩を落とし、疲れたように身を丸める。

おかしいとは思ったのだ。

熱情を囁きながらも、穂積の声にはどこか気怠さが感じられた。

出会った頃のように一方的な物言いも不自然で、その可能性に思い当たるのは当然だった。

「やっぱり、寝ぼけてたか」

溜息と共に吐き出せば、返事のように微かな寝息が流れて来た。

過去の経験から、朝まで起きないことは分かっている。

いつかのように、寝過ごす可能性も考えられた。

穂積の意識が完全に夢の世界へ落ちたのを察し、千影は通話を切った。

穂積専用携帯電話の初任務は、五分もせずに終了した。

再び意味のない箱に戻ったそれを、千影はじっと見下ろす。

初めてそういう誘いを受けたと思ったら、寝ぼけた末の戯言だった。

普通ならば腹を立てるところだろう。

侮辱されたと憤っても、責める者はいないはずだ。

けれど、千影の口元に滲む感情は、怒りとは真逆だった。

携帯電話を掴んだまま、ベッドを降りる。

寝間着のスウェット姿ではあったが、構わず寮の廊下に出る。

静まり返った役員専用フロアを進み、目的地の前でゴールドカードを取り出した。


――お前ならば、いつでも来ていい


いつか言われたセリフを反芻しながら、ロックを解除し扉を開ける。

黒と白で統一された生活感のないリビングを横切り、最奥にある部屋のドアノブを音もなく捻った。

広々とした室内には、キングサイズのベッドと明りがついたままの間接照明があるだけだ。

黒いシーツに沈む男を見つけ、思わず笑みが零れた。

穂積はワイシャツとスーツのズボン姿で眠っていた。

仕立ての良いジャケットが、足元に脱ぎ捨てられている。

学外の仕事から戻ってきて、そのまま寝室に直行したのだろう。

「シワになりますよ」

返事はないと知りつつ注意をして、中途半端に解けたネクタイと腰のベルトを引き抜いた。

起こす危険があるためズボンは諦め、靴下だけを脱がせる。

仕上げに掛布団をかけてやると、千影はベッドの端に腰を下ろした。

微かな寝息を立てる穂積の手には、千影がもらった機種と色違いの携帯電話が握られている。

すでに画面は暗転しているものの、誰と繋がっていたかは明白だ。

疲労の滲む彼の寝顔は、どこか和らいで見えた。

目覚めたとき、穂積は今夜の電話を覚えていないだろう。

以前と同じく、すっかり忘れてしまうに違いない。

寝ぼけた勢いでベッドに誘ったと知ったら、彼はどんな反応を見せるのか。

想像で遊ぶ千影の頬は、間接照明のオレンジ色の光りで赤く見えた。

千影は持ってきた自分の携帯電を構えると、とあるアプリを起動させた。

小さな音が、静寂の中に響き渡る。

ディスプレイに映し出されたそれを、面映い気持ちで保存する。

「おやすみなさい」

漆黒の前髪を優しくかき分け、露わになった男の額に口付ける。

この胸に息づく恋情が、夢の中の穂積に届くようにと願いながら、千影は静かに部屋を出た。

意味のなかった最新型のスマートフォン。

穂積に返すべきかと悩みながらも、「専用」という言葉が嬉しくて言い出せずにいた。

けれどもう、二度と手放そうとは考えない。

からっぽだった箱の中には、一件だけの着信履歴と。

彼の寝顔を撮った写真が入っているのだから。


――言葉ばかりの「恋人専用機」が、役目を果たした夜のお話。

Fin.




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