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小さな違和感を覚えながら、千影は言葉を継いだ。
「何かあったんですか? 仕事で問題でも」
『来い』
「は? 来いってどこに」
『俺の部屋に決まっている。今すぐ来い』
「今すぐ、ですか。一体なにが――」
『いいから来い』
「早くしろ」と急かされて唖然とする。
意味が分からない。
なぜ、こんな深夜に穂積の部屋へ出向かなければならないのか。
急を要すならば理由は何なのか。
恋人関係になった今でも、穂積の傲慢な面に触れることはある。
だが、必ず千影が納得、あるいは理解できる理由を説明してくれた。
今のように、訳も言わず一方的な要求をされたのは久しぶりだ。
どうにか衝撃から抜け出すと、千影は違和感を隠すことなく告げた。
「理由を説明してもらわなければ、こんな時間に部屋を訪ねる気はありません。明日じゃ駄目なんですか?」
『駄目だ。今じゃなきゃ意味がない』
「だからどうして」
『会いたい』
簡潔な願いは、鼓膜ではなく心臓を震わせた。
『会いたい。お前の顔が見たい、声が聞きたい、熱に触れたい』
「あ、の……」
『お前を抱きしめて眠りたい』
血が沸騰しそうだ。
スマートフォンを持つ手に力がこもり、押し付けた耳がじんじんと痺れる。
胸の拍動をドクリ、ドクリと強くはっきりと感じた。
千影は察しの悪い方ではない。
その場の空気や言外の意味をくみ取るのは、調査員として必須の能力と言える。
恋愛面においては鈍感になりがちではあったけれど、ここまではっきりと示されては気付くしかない。
恋人から深夜に「会いたいから部屋に来い」と言われる意味。
導き出せる答えは、たった一つだ。
羞恥と困惑と僅かな期待が入り混じって、妙な気持ちに襲われる。
背骨がむず痒くて、そわそわと落ち着かない。
口の中に唾液が染み出るのに、喉は乾いて引き攣れている。
「今日、ですか……?」
震える唇で紡いだ声は、不安な響きを有していた。
キスはした。
深い侵入も許したし、彼の内側の味を知っている。
けれど、そこまで。
千影と穂積は、まだその先に進んでいなかった。
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