「私が言ってるのはそういうんじゃない。日浦さんなら分かるでしょう?」
「……」

上手い言い方だった。

これまで女の心を汲み取り気配りに長けた「日浦」を演じて来た木崎が、ここで「分からない」と言えるわけはなかった。

女の手が木崎の腿に置かれる。

落ちついた色に光る長い爪が、戯れのようにズボンの布地を引っ掻いた。

「お客さんにこんなことするの、初めてだからね」
「分かってる、君はこんなことをする子じゃないね」
「でも日浦さんにはするの……。優し過ぎる日浦さんは、いつまで経っても紳士のままだから」

身を乗り出した女の唇が耳朶を掠めた。

細い手はどんどんと動きを妖しくさせ、腿の内側へと迫って来る。

木崎は内心で大きな嘆息をついた。

やはり面倒な展開になった。

女がもう少し成熟していれば、適度な距離を見極めてくれただろうに。

大胆な誘いをかけて来ても、やはり純粋な部分が大きく残っているに違いない。

この女は、完全に「日浦」に落ちてしまっている。

さて、どうしたものか。

この程度の誘惑でその気になるほど若くない木崎は、冷静かつ迅速に打開策を思案する。

一番手っ取り早いのは、彼女の要求に従うことだ。

女のプライドを傷つけずに済むし、「日浦」にどっぷりと溺れさせれば調査の終了はすぐである。

しかしながら、その手段だけは絶対に選ぶつもりはなかった。

体を使うことに抵抗があるわけではない。

女を思いやってのことでもない。

木崎が調査で「それ」をすれば、確実に哀しむ男が一人。

いるからだ。

ではどのようにして、この窮地を脱すればいいのか。

背に腹は代えられない。

何の反応もみせないことに焦れた女の手がベルトへかかった瞬間、木崎は突然動き出した。

「きゃっ!」

驚愕から目を見開いた女の手を掴んで拘束すると、華奢な体を助手席のシートに押し付ける。

覆い被さるように身を屈めて、木崎は勢いそのままに女の真っ赤な唇へ齧りついた。

優しさの欠片もない強引で乱暴なキスは、手慣れた大人の技巧を合わせ持っていた。

腕の中で女の体がしなる。

深い繋がりを解いた男は、焦点の定まらない一対の瞳を覗き込んだ。

「知ってる? 男も怖いんだよ」
「あ……」
「外面では紳士を装っていても、心の中は乱暴な妄想の嵐だ。君を手酷く扱える怖いところがあるんだよ」

上質な男の底に潜む嗜虐心をチラつかせれば、女の喉が引きつるのが分かった。

本能的な恐怖が恋情を上回ったのだ。

密かに胸を撫で下ろしながら、木崎はフォローのために優しいキスを一つ送る。

可愛らしいリップ音を立ててすぐに離れれば、女は暗示から醒めたかのように呆然と瞬きを繰り返した。

「俺に乱暴なことをさせないでくれ、おやすみ」




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