◇
「私が言ってるのはそういうんじゃない。日浦さんなら分かるでしょう?」
「……」
上手い言い方だった。
これまで女の心を汲み取り気配りに長けた「日浦」を演じて来た木崎が、ここで「分からない」と言えるわけはなかった。
女の手が木崎の腿に置かれる。
落ちついた色に光る長い爪が、戯れのようにズボンの布地を引っ掻いた。
「お客さんにこんなことするの、初めてだからね」
「分かってる、君はこんなことをする子じゃないね」
「でも日浦さんにはするの……。優し過ぎる日浦さんは、いつまで経っても紳士のままだから」
身を乗り出した女の唇が耳朶を掠めた。
細い手はどんどんと動きを妖しくさせ、腿の内側へと迫って来る。
木崎は内心で大きな嘆息をついた。
やはり面倒な展開になった。
女がもう少し成熟していれば、適度な距離を見極めてくれただろうに。
大胆な誘いをかけて来ても、やはり純粋な部分が大きく残っているに違いない。
この女は、完全に「日浦」に落ちてしまっている。
さて、どうしたものか。
この程度の誘惑でその気になるほど若くない木崎は、冷静かつ迅速に打開策を思案する。
一番手っ取り早いのは、彼女の要求に従うことだ。
女のプライドを傷つけずに済むし、「日浦」にどっぷりと溺れさせれば調査の終了はすぐである。
しかしながら、その手段だけは絶対に選ぶつもりはなかった。
体を使うことに抵抗があるわけではない。
女を思いやってのことでもない。
木崎が調査で「それ」をすれば、確実に哀しむ男が一人。
いるからだ。
ではどのようにして、この窮地を脱すればいいのか。
背に腹は代えられない。
何の反応もみせないことに焦れた女の手がベルトへかかった瞬間、木崎は突然動き出した。
「きゃっ!」
驚愕から目を見開いた女の手を掴んで拘束すると、華奢な体を助手席のシートに押し付ける。
覆い被さるように身を屈めて、木崎は勢いそのままに女の真っ赤な唇へ齧りついた。
優しさの欠片もない強引で乱暴なキスは、手慣れた大人の技巧を合わせ持っていた。
腕の中で女の体がしなる。
深い繋がりを解いた男は、焦点の定まらない一対の瞳を覗き込んだ。
「知ってる? 男も怖いんだよ」
「あ……」
「外面では紳士を装っていても、心の中は乱暴な妄想の嵐だ。君を手酷く扱える怖いところがあるんだよ」
上質な男の底に潜む嗜虐心をチラつかせれば、女の喉が引きつるのが分かった。
本能的な恐怖が恋情を上回ったのだ。
密かに胸を撫で下ろしながら、木崎はフォローのために優しいキスを一つ送る。
可愛らしいリップ音を立ててすぐに離れれば、女は暗示から醒めたかのように呆然と瞬きを繰り返した。
「俺に乱暴なことをさせないでくれ、おやすみ」
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