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約一月前、元同僚の間垣 康介が事務所に持ち込んだ依頼は、とある会員制クラブで密売されているドラッグの調査だった。
表向きは財界に連なる者たちの社交クラブに過ぎないが、特定のホステスが売人と購入者の仲介役を担っているという情報を掴んだ。
そうして日浦という名の企業経営者に扮してクラブに潜入した木崎は、一人の女に的を絞った。
助手席で笑顔を浮かべる女こそ、その仲介役である。
「優しいよね、日浦さん。紳士的っていうのかな」
正面を見据える木崎の横顔をうっとりと眺めながら、女は言葉を紡ぐ。
この数週間の内に、彼女の心はすっかり木崎に傾いていた。
「私の嫌がること絶対にしないもの。知ってる? 女の子って怖いんだよ」
「怖い? どうして」
「顔は笑顔なのに、心の中では悪口の嵐だったりするの。本当は嫌いなのに好きっていくらでも言える怖いところがあるんだ」
自嘲するように語る相手に、木崎は胸裏で苦笑した。
それのどこが怖いと言うのだろう。
確かに女性の裏表の激しさは恐ろしいが、調査のために彼女と接触している自分の方がよほど性質が悪い。
顔は笑顔なのに、心の中では打算の嵐なのだから。
「怖いところもあるかもしれない。けどね、女性は我慢強いんじゃないかな」
「我慢……?」
「そう。嫌いな相手の前で笑顔を保つのは大変なことだ。嫌いなのに好きというのも相当な忍耐力が必要だろう」
「日浦さん人が良過ぎ」
女性の本質を理解していないと、憐れむような目で女は言った。
真意を隠すことも出来ない少女を、どうして怖いと思えるだろう。
やがて辿りついたマンションの前で木崎はブレーキを踏んだ。
「着いたよ。疲れているだろう、もうお休み」
別れの挨拶を切り出したものの、女に動く気配はない。
注がれる視線を感じて、木崎は傍らに顔を向けた。
「どうかした?」
「日浦さん、本当に優しいよね」
女の声には、どこか拗ねた響きがあった。
先ほどまでの純粋な褒め言葉とは明らかに違う。
「お店ではお話しして、ご飯に連れて行ってくれて、ドライブして、家まで送ってくれる。ずっと紳士的な態度を崩さない」
「あぁ、ごめん。いつも同じじゃ飽きるね」
「飽きないよ! 話の内容も連れて行ってくれるレストランも全然雰囲気違うし、ドライブも夜景の綺麗なところを通ってるって気付いてる。道も変えて、私が飽きないようにすごく気を使ってくれてるの知ってるよ!」
女の不満の在り処を敏感に察知しながらも、木崎はあえて見当はずれなことを言った。
どうにかして煙に巻かねば面倒な展開になるのは目に見えている。
だが、女も必死だった。
若く張りのある声で、感情も露わに訴える。
潤んだ瞳が縋るように木崎を見つめた。
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