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それは些細なハプニングだった。
木崎 武文は四週目に突入する調査の進展具合に、内心だけで満足しながらハンドルを切った。
その姿は高級外車に見合った洗練されたものだ。
上質のスーツを着こなし髪も丁寧にセットした彼は、一分の隙もない上質な紳士に見える。
甘く整った面に品のよい微笑をこしらえて、木崎は傍らを横目で窺った。
助手席に座るのは、胸元が大きく開いた派手なドレスの女だ。
白く滑らかな肌と真っ赤な口紅のコントラストがやけに目につく。
染め直したような黒髪のロングヘアはいま一つ似合っていない。
どこか違和感のある華やかさの理由は、恐らく彼女の年齢がまだ二十を回ったばかりだからだろう。
今年で四十一になる木崎から見れば、少女と言っても差し支えない年だ。
もちろん、美しい女であるのは間違いない。
ただ、無理に大人びた格好をしているのは明らかである。
「綺麗な色だね」
「え……?」
「口紅の色」
「あ、うん。海外ブランドの限定品なの」
彼女は少しだけ戸惑った後、笑顔で応えた。
笑えば尚、幼さが滲む。
「鮮やかな色も似合うけど、君の肌には淡い色も映えそうだ」
「やっぱり? 私、普段はピンク系のグロスを使ってるの」
女は少しだけ驚いた表情になる。
木崎と会うときの彼女の唇は、いつも決まって赤で飾られているのだから、驚くのも無理はない。
本当に似合うもの、あるいは素の自分を見破られた心地がするだろう。
もちろん、木崎の発言は女の考えるどちらによるものでもなかった。
この年齢の女性ならば、真っ赤な口紅など流行しない限りまず使わない。
ピンクやオレンジ系が多いはず。
仕事用の姿なのは明白だから、この角度から褒めるのが有効に違いないと冷静に計算した上での賛辞だった。
そうして彼の計算は正しかった。
女は体ごと木崎に向き直ると、頬を緩ませた。
「日浦さんって不思議だよね。他のお客さんだったら、今の私を褒めるか自分の好みを押し付けるかのどっちかだもん」
「もちろん、今の君も素敵だよ。私だって自分の好みで君に淡い色を勧めているのかもしれない」
「ほら! 褒め言葉も当然って顔で受け止めたりしない。こんな言葉遣いで話しても怒らないし」
「堅苦しい話し方が苦手なだけさ。敬語は仕事中だけで十分」
穏やかな語調で返しながら、木崎は住宅街へとハンドルを回す。
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