「なっ……!」
「有意義な時間の使い方なら、すでに知ってる。お前の協力が必要不可欠な、使い方を」

突然の事態に見開かれた瞳を至近距離で見つめながら、穂積は艶やかな低音で囁きを落とした。

突っぱねるように胸に置かれた千影の右手を取って、壁に張りつける。指と指を絡めると、対面の白い頬が鮮やかな朱に染まった。

「会長、離して下さい」
「なぜ?」
「ここ、エレベーターです」
「知ってる」
「っ、常識的に考えれば分かるだろ!」

堪え切れずに語調を荒げた千影の耳に、穂積は欲望を孕んだ吐息を吹きこんだ。

「常識なんて知ったことか」

瞬間、腕に閉じ込めた体が、びくんっと大きく反応した。

いつまで経っても慣れることのない初々しさに、胸の底から愛おしさが溢れだす。

これが他の人間ならば白けるところだろうに、千影に限っては甘く狂おしいほどの感情しか抱かないのが不思議だ。

穂積は耳朶に音を立てて口付けてから、次第に唇の位置を千影の顔へ移動させる。

目尻、頬、口角。

空へ昇って行く狭い箱の中に、悪戯な音色が響く。

戯れとも呼べる行為だと言うのに、千影の細い体がどんどんと熱を帯びて行くのが分かって、穂積はチラリと横目で階数を確かめた。

「会長、もう本当に――」
「それ、何度目だ」
「何が」
「俺はもう会長じゃない」

優秀であることは疑いようもない千影の、唯一の欠点。

高校時代の癖が抜けないのか、未だに穂積を「会長」と呼ぶ。

卒業して六年目を迎えようというのに、千影の中でその役職名は根強く残っているらしい。

何度となく訂正するものの、彼はプライベートな時間になるとどうしても間違えるのだ。

可愛いとも思うが、時折ひどくもどかしくなる。

千影は「しまった」と顔に出すと、心底申し訳なさそうに言い直した。

「すみません、社長」

思わずコケそうになった。

寸でのところで回避できた自分の精神力に拍手をしたい。

それでも呆れたような嘆息は呑み込めず、千影の首筋を掠めた。

「社長?」
「わざとだとは思わない。本気の分、俺が報われないというだけだ」
「あの、よく意味が分からないんですけど」
「そういう返答をされるたびに、俺は未だに片思いをしている気分になる」

恨みがましいと分かっていても、つい口にした本音に返されたのは、思いがけず強い声だった。

「そんなわけない。貴方が片思いなんてあり得ない。貴方が俺を好きなら、両想いです」

甘く潤んだ瞳の奥に確かな理性を宿したまま、千影は断言した。




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