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声を上げたのは綾瀬だけだったが、走った衝撃は穂積とて同じほどの威力だ。
今、逸見は何と言った?
眼鏡のブリッジを押し上げながらこちらを見据える相手の瞳は、緊張の硬質さを有していて、真実であることを知らしめる。
「街で買い物をしていたとき、怪しい男に殴られている生徒を見つけたから、逸見が助けたんだけど。どこか様子がおかしくて」
「生徒のポケットから、コレが……」
そう言って男が取り出したのは、小さなビニールに入った真っ赤な錠剤。
応接テーブルの上に置かれたそれを目にして、綾瀬が驚愕の色を深めた。
「これって……先月見つかったものと同じじゃないかっ!」
歴史ある碌鳴を襲った信じられない事態。
先月の初めに、学院の生徒が逮捕されたことを知るのは、生徒会を始めとする限られた人間だけである。
麻薬を購入している現場を現行犯で逮捕された生徒は、しかし家柄の力ですでに釈放済み。
学院からは自主退学と言う形で姿を消しているも、罪を犯した事実は闇に屠られていた。
事件そのものが一般生徒に明かされることもなく、長い歴史の中で抹消される出来事の一つに過ぎないと、穂積は思っていた。
しかし、二度目はそうもいかない。
今、彼らの目の前にあるのは、以前目にしたものと同じクスリなのだ。
まったく同じ麻薬を、学院の生徒が所持していた。
これは一回目とはまるで意味が違う。
「所持していた生徒の交友関係をすでに調査させているけど、前回の子とは何の繋がりもなさそうなんだ」
「不味いな……」
呟けば、室内の空気は一気に重苦しいものへと変化した。
事の重大性はこの場にいる全員が理解している。
たった一人の生徒が麻薬を持っていただけならば、ひっそりと揉み消して終わりだ。
有力者の子供ならではの方法で、学院とは無関係な場所でやってくれればいい。
けれど、二人目がまったく同じものを持っていたのは駄目だ。
答えは簡単。
この先調査を進めていけばより確実になるだろうが、どうして一度目の生徒と今回の生徒に接点がないにも関わらず、二人とも赤い錠剤を持っていたのか。
「学院でこのドラッグが流行している可能性がある……と言うことか」
鋭さと険しさを混在させた黒曜石の瞳が、眇められた。
友人関係どころか無関係な二人が共通して、赤いドラッグを隠し持っていた。
それは碌鳴全体で、この麻薬が出回っていると示唆している。
「どうするの、穂積?」
対面の友人の顔には、普段決して見せることのない感情が乗せられていた。
穂積はしばしの沈黙の後、口を開く。
「生徒会で内々に調査を開始する。まだ本当に学院内でコレが蔓延しているとは限らない。下手に騒ぎ立てすれば外部に情報が流出する可能性があるからな。各自、細心の注意を払え」
「具体的には?」
歌音の問いに一つ頷く。
「歌音と逸見は所持者の交友関係から洗え。生徒は謹慎処分にさせる」
「なら、僕は他の生徒に目を配っておくよ。情報が少なすぎるもんね」
「あぁ頼む。仁志はどうしてる?」
「たぶん寮にいるんじゃないかな。僕から話しておくよ」
唯一この場にいない役員が、ここ最近妙に様子がおかしいことは、誰もが知っていた。
何かしら理由があるのだろうし、出来れば落ち着くまで放っておいてやりたいところだが、そうも言ってはいられない。
こうなると、行事の多さは障害でしかなかった。
膨大な仕事はこなさなければならないし、調査が難航することは必至だ。
それでも、公にして名門校の名を汚すよりはずっといい。
大事になれば在籍するすべての生徒の将来に支障を来たしかねない問題なのだから。
「いいか、学院で蔓延していると言う証拠が見つかるまで、騒ぎにするな」
絶対支配者が紡いだ台詞に、一同は神妙な面持ちで頷いた。
こうして彼らの七月は始まったのである。
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