取引。




照明の落ちた薄暗い会議室に、小さな緑の光りがポツンと一つ、灯っていた。微かな駆動音を鳴らすシュレッダーは、今まさに数枚の書類を呑み込もうとしている。

男の指先が紙から離れるその瞬間、天井に並んだ蛍光灯が一斉に光りを放った。

「ハーイ、そこまで。今すぐシュレッダーから離れてくださーい」

間の抜けた声とは裏腹に、渡井は強い力で男の腕を掴むと書類を取り上げた。それにさっと目を通してから、会議室の入り口に立つ少年へ差し出す。

少年――光はじっくりと内容を確かめた後、疲れたようにため息をついた。

「間違っても処分するようなものじゃないな、片岡」

光の呼びかけに、新副会長方筆頭補佐の片岡 巧はふわりと笑みを浮かべた。

腕を軽く揺らして渡井の拘束を外し、光の鋭い視線を正面から受け止める。いつもと同じ優し気な微笑みは、たった今、不正を暴かれた人間のものとは思えなかった。

「こんばんは、長谷川副会長。こんな時間にどうされましたか」
「それはこっちのセリフだ。こんな時間に書類を持ち出して、どういうつもりだ」
「お気づきでしょう。今さら、私の口からご説明することがあるとは思えません」

平然と言い返されて、光は眉を顰めた。

「現行犯だっていうのに、随分と落ち着いているな」
「長谷川副会長こそ。そのご様子では、私が犯人だと気付いていらっしゃったのでは?」

片岡の指摘を肯定するように、会議室に沈黙が落ちた。

鴨原の助言を受けて、光は渡井にも手を貸してもらうことに決めた。自らの抱える組織ではあっても、光が副会長方を把握しているとは言い難い。「内部事情に明るい者の協力は不可欠」と言われて、思い当たったのは彼だけだった。

そうして事態の解決を図るべく行われた三人での話し合いで、真っ先に犯人候補として挙がったのが、片岡である。

「ミスの起こり方を考えれば、犯人を絞るのなんて簡単でしょ。大きな問題になる前に、必ずチェックが入るような「ちょうどいいミス」なんて、副会長方の業務全体を理解していなきゃ出来っこないもの」

渡井の声音は普段よりもいくらか低い。悪びれた様子のない片岡を警戒している。

「それなら渡井だって犯人になり得るでしょう?」
「あり得ない」

きっぱりとした否定にもっとも驚いたのは、即答した光自身だ。

「……渡井が犯人なら、一連のミスが意図的におこっているなんて、報告してくるわけがない」

副会長方で頻発する問題に抱いた疑念は、渡井の報告によって確信に変わった。彼の言葉がなければ、犯人捜しを始めるのはもう少し遅かったかもしれない。

そう言ってはみるものの、理由など後付けだ。

もし渡井がなにも言わなかったとして、自分は彼を疑っただろうか。答えはすでに出ている。

いつの間にか、光は渡井 明帆を信頼していた。

他人の心の機微に異様なほど聡い男は、光の想いを正確に汲み取ったのか、片岡の横でにこにこと嬉しそうな顔をしている。気恥ずかしさを誤魔化すように軽く睨みつけてから、光は片岡に向き直った。

「どうしてこんな真似をした。俺に不満があるなら、話してくれないか」
「……話せば見逃してくださるのですか?」

片岡の顔にこれまでとは種類の異なる笑みが乗る。つり上がった口端からは、状況を楽しむような余裕が感じられて、光は内心で首を傾げた。

「長谷川副会長はどのようにお考えですか? 私があなたに対して、どのような不満を抱いていると思いますか」
「……」

他の誰かに問われたなら、答えを出すのは簡単だった。

学院占拠事件で光に対する評価は激変したが、生徒たちの不満のすべてが解消したわけではない。なぜこんな真似をしたのか、理由はいくらでも思いついただろう。

だが、向かい合うのは副会長方筆頭補佐に任じられた相手だ。彼をその椅子に据えたのは、調査員である自分以上に洞察力の優れた渡井である。

光よりもずっと長い時間、片岡と接していた渡井が、彼の抱える敵意を見落とすとは思えない。

「お前は「俺」に不満があるのか?」

光の言葉に、片岡の笑みが深まった。

「――不満の対象は、長谷川先輩ではありません」

第三者の声に、室内にいた全員の目線が光の背後へ注がれる。

委員会室に入って来た鴨原は、遅れたことを詫びるように軽く頭を下げた。

「会計のあなたが、どうしてこちらに?」
「長谷川先輩に協力を頼まれたので」

後輩に気を遣うつもりはないのか、片岡の声には棘がある。口調こそ丁寧なままだが、鴨原の登場を不快に思っているのは明らかだ。

それを意にも介さず進み出ると、鴨原は落ち着いた様子で片岡と対峙した。

「片岡先輩はご存じでしょうか。我々、生徒会役員にはいくつかの特権が与えられています」
「それが?」
「一つはこれです」

鴨原はブレザーの内ポケットからIDカードを出した。一般生徒が持つ銀色のものとは異なり、生徒会役員のカードは与えられた特権を示すような金色をしている。

「役員専用のゴールドカードは、学内のほぼすべての扉を開錠できます。それは碌鳴館の玄関扉であったり、本校舎の特別教室であったり……生徒寮の部屋も含まれます」

鴨原が言わんとするところを察したのか、片岡の表情が一変する。

「まさか、勝手に部屋に入ったのか!? いくら生徒会役員だからって、個人の私室に無断で侵入するなんて――」
「あなたの部屋からは、随分と興味深いものが見つかりました」

抗議の声を遮ると、鴨原は懐から一枚の紙を出して憤りを露わにする男へ突き付けた。

興味を惹かれた渡井が、すぐに横から覗き込む。

「なんだ、うちの委員名簿じゃん」
「えぇ、その通りです。ただ、なにか余計なものが書き足されていると思いませんか」

凍り付く片岡をしり目に、鴨原は委員名簿を光に渡した。

名簿にはこの一か月で見知った面々の名前が並んでおり、それぞれ手書きの数字が添えられている。数字は一から五のうちのどれかで、ほんとんどが一か二だ。これがなにを示すのか、導き出せる答えは限られていた。

「随分と厳しい評価だ」
「長谷川、副会長……」
「お前が不満に思っているのは、他の委員たちか」

名簿に記された数字。それは片岡が彼らにつけた点数だ。半分以上の者が三に満たない低評価で、筆頭である渡井ですら五段階評価の四に留まっている。

「長谷川副会長は、その評価が不当だとお考えですか」
「は?」

思わずため息をついた光に、片岡は意を決した様子で口を開いた。

「正直に申し上げて、新副会長方は他の補佐委員に比べて明らかに能力が劣ります。単純な伝達ミスや書類不備は、私とは関係のない「本当」のミスです。結成から間もないとはいえ、彼らの仕事ぶりは目に余ります」

新副会長方の委員が、補佐委員の仕事に不慣れなのは確かだ。これまで生徒会関係の仕事に携わった経験のない者がほとんどで、未だに浮足立っているのは間違いない。

純粋な職務遂行能力よりも、人柄や光に向ける感情を重視して選出したと聞いていたから、彼らが落ち着くまでにはそれなりの時間を要することは分かっていた。

だが、実際に現場で働く人間からすれば、足を引っ張られているように感じたのかもしれない。

「だからって、こんな真似する理由にはならなくない?」
「こうして問題を大きくしなければ、長谷川副会長は実態に気付いたか? 渡井、きみが包み隠さず報告したとは思えない」

指摘は鋭い。渡井が委員会内の些細なミスを、光に黙っていたのは事実だ。





- 832 -



[*←] | [次#]
[back][bkm]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -