疑念が伝わったのか、対面の男が面倒くさそうな顔になる。「妙な勘繰りはやめろ」と愚痴るように零して、大げさに肩を竦めて見せた。

「餞別代りだよ。千影には散々稼がせてもらったし、最後に礼の一つでもしておこうと思っただけだ。あいつもお前を嫌っちゃいないからな」
「そんなに親切だとは知らなかった」
「……お前の質問には答えたし、俺の話も終わりだ。情報料として支払いを押し付けたいところだが、今回に限って俺が持ってやるよ」

そう言って、木崎は話を締めようとした。伝票の挟まれた黒いバインダーを掴み、席を立つ。

「試している……わけではないな」
「は?」

独り言というには些か大きな声で、穂積は言った。自身の思考をまとめるように、訝しむ木崎を無視して先を続ける。

「俺を見くびっている、というのも違うな。安く見積もっている相手に、千影を託すわけがない。なら、焦っている?」

切り込むような鋭さに嘲りに近い挑発を混ぜて見上げれば、立ち去ろうとしていた男はぴたりと動きを止めた。表情にこそ表れていないが、纏う空気が硬くなったのが分かる。

穂積はゆっくりと長い足を組み替えた。勿体ぶるように珈琲を一口飲んで、悠然と言い放つ。

「随分、余裕のないことだ」
「的外れな指摘だな。悪いが心当たりがない」
「これほど雑な真似をしておいてか?」

冷静に考えれば、初めから不自然だった。

木崎は自ら穂積を呼び出し、千影について質問する権利を与えた。そうして穂積が望むままに千影の秘密を明かし、最後には穂積をけしかけるようなことまで口にした。

これまでの彼を振り返れば、あり得ないことばかりだ。

木崎は繰り返し穂積に問うた。千影と関わる意味と覚悟を、何度も試すように問い質した。

万が一にも千影が傷つかないように、慎重に穂積という人間を見極めようとして来たのだ。

しかし今回はどうだ。

千影に相応しいか否か、審理にかける素振りすらない。むしろ今にも穂積の手に千影を預けようとしている。

「お前がいくら千影を道具のように語ろうと、それを信じるわけがない。悪役を演じたいなら、夏まで時間を戻してみせろ」

千影を使い勝手の良い道具とするには、手遅れもいいところ。今日に限って偽悪的に振舞う木崎に、違和感を覚えない方がどうかしている。

「非道極まりない罪人から千影を奪え」と、促しているのは明らかだ。

当然、木崎も自らの不出来な嘘に、気付いていただろう。もし穂積が衝撃的な告白の連続に惑わされ、欺かれると本気で思ったのなら、彼らしからぬ杜撰で稚拙な目論見だ。

木崎がどんなに「罪人」であろうとしても、穂積の目には千影の「保護者」としか映らない。すべてはこれまでの木崎のために。

「……本当に、嫌味なヤツだ」

諦めたようなため息が、頭上から落ちて来た。自嘲気味な苦い笑みを浮かべて、男は再びソファへ腰を下ろす。伝票を挟んだバインダーを穂積の方へ投げて寄越したのは、彼のささやかな抵抗だろうか。

疲れ切った様子で背もたれに深く身を預けると、木崎は天井を仰いだ。

「穂積 真昼くんはさぁ、可愛げがないよな。愛想もないし、年上を敬う謙虚さもない」
「おい」
「素直に信じる心もないし、見て見ぬふりをする器用さもない」
「……」
「見逃したって、お前は損しないだろう」

ちらりと寄越された視線は恨みがましくて、暗に「なぜ追及してきた」と責めているのが分かる。

困るならもう少しマシな嘘をつけと返したいところだが、不可解な点が一つでもあれば穂積は追及しただろう。

「これ以上、千影に偽りは必要ない」

木崎が本当に騙したかったのは、果たして誰か。激痛を堪えるように目を眇め、口を引き結ぶ男に、穂積は確信せずにはいられなかった。

木崎の言動すべては、千影のためにある。

「もう一度だけ問う。お前は、千影のなんだ」

同じ質問をするのは、これが最後だ。

今度こそ真実を告げろと、穂積は研ぎ澄ました眼差しを向けた。

木崎は緩慢な動きで身を起こし、正面から視線を受け止める。その二つの眼に深い後悔の色を湛えて、ゆっくりと唇を動かした。

「俺は「保護者」として千影を託された「罪人」であり、「罪人」でありながら「保護者」になろうとした……出来損ないだ」




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