今回の一件について、光が第三者に行ったのは「報告」だ。事の仔細を説明しても、助けを求めたことはない。穂積が指摘した通り、光は誰にも相談をしていなかった。

「人の手を借りるのは苦手ですか?」
「苦手というか……そもそも発想がなかった」

それは真実であり、嘘でもある。

調査員として生きて来た千影にとって、問題の解決に他人を頼るという考えは、馴染みのないものだ。

なにが命取りになるとも知れない潜入調査で、無暗に助力を乞うのは自殺行為。調査を成功させるためには、自分一人で対処するのが当然だった。

その思考は今回の出来事においても変わらない。変わらない、はずだった。

過去、幾度となく救われた記憶が、千影の脳裏に「彼」を描き出し――打ち消した。

穂積 真昼を頼ることは、許されない。

「副会長方の問題である以上、俺が解決するべきだろう?」
「それはもちろんですが」
「結成して間もないんだ。今から他人を頼るようじゃ、この先やっていけない。他の生徒たちにも示しがつかないしさ」

光の副会長就任は、危うい均衡の上で成り立っている。

非常事態訓練のどさくさを利用して生徒たちの承認を得たに過ぎず、一時的な熱狂が収まれば、彼らの光を見る目は途端に厳しくなるはずだ。

副会長方すら御しきれないと知れたら、どうなるか。光の資質は疑問視され、解任請求がされるのは目に見えている。

今の光には、弱音一つ零すことも躊躇われた。

「みんなに迷惑かけてるし、早く手を打たないといけないな」
「……思い過ごしでなければ、穂積会長は怒っていませんでしたか」
「ちょっと厳しい言い方だったけど、悪いのは俺だし」
「そうですね。長谷川先輩が悪いです」

きっぱりと言い切られ、思わず言葉に詰まった。

鴨原は光を流し見ると、穂積とよく似た調子でため息をついた。

「長谷川先輩は、副会長という役職でもっとも必要な能力は、なんだと思いますか?」

脈絡のない質問に目を瞬かせる。

鴨原は光の回答を待たずに、自らの答えを口にした。

「私はコミュニケーション能力だと考えます」

碌鳴学院における副会長の役割は、第一に外部との交流だ。学院生の代表は生徒会長でも、窓口は副会長が担う。会計や書記を内政とするなら間違いなく外政であり、学外の企業と接する機会は他の役職に比べて圧倒的に多い。

円滑な人間関係を築く能力は、鴨原の言う通り副会長に欠けてはならないものだろう。

学院内で長らく爪弾きに遭っていた光に、果たしてその能力があるのか。彼の言葉に疑念と糾弾を受け取り、光は苦笑せずにいられなかった。

「あの、誤解のないように言っておきますが、私の言う「コミュニケーション能力」は、決して友人が多いとかそういった類のものではありません」
「え?」
「他者を動かす力を指しています」

初対面の相手とすぐに打ち解ける愛嬌。豊富な話題で場を盛り上げる話術。誰からも愛され人気を得る能力は、もちろん重要だ。

けれど鴨原の語る「コミュニケーション能力」は、光の思い浮かべたものとは異なるらしい。

「言い換えるなら「交渉力」でしょうか。副会長に求められるのは、自らの力で他人を動かし利益を得る技術ではないかと」

外部企業とのやり取りは、単純な書面の交換に終わらない。経費や納期をめぐる駆け引きも含まれる。あらゆる手札を駆使して、いかに有利に事を進めるか。

取引先の条件に従うだけの「いい顧客」になっては、無能の烙印を捺されるだけだ。

「鴨原の言うことはもっともだと思う。今はまだ学内の仕事ばかりだけど、来月からは本格的に俺が副会長の仕事をこなすわけだし。交渉事は苦手じゃないから、役割を果たせるように全力を尽くすよ。でも、今回の件で誰かに頼るのは、別の話じゃないか?」
「そうでしょうか。交渉によって手に入れる利益は、正当な報酬です。仮に今回、長谷川先輩が誰かの協力を取り付けるために、手を打ったとしても同じこと。気にせず話を持ち掛ければいいんです」

仕事上の交渉と、他者に協力を仰ぐこと。もっともらしい顔で鴨原は主張するが、光にはどうしたって同じようには思えない。

個人間での交渉となれば、取引材料は金銭や物品、あるいは情報と相場は決まっている。過去の潜入調査を振り返れば、それくらいの真似は平気で行って来たが、今の光には難しい。

助力を求めるならば信頼の置ける相手だ。

木崎以外に選択肢のなかった頃とは異なり、今ではたくさんの当てがある。彼らの誰にだって、打算重視で接したくはなかった。

「相手への対価は、数字が絡むものばかりとは限りません」
「え?」
「想いを受け取ることが、それに値する場合もあります」

鴨原はふわりと微笑んだ。普段の生真面目な表情が、驚くほど柔らかなものに変わる。

言われた言葉と相手の変化に理解が遅れ、光は目を瞬いた。

「長谷川先輩、どうか頼ってください。みんな、あなたからの言葉を待っています。その気持ちを汲んでもらえることほど、価値のある対価はないんです」
「それが……交渉?」
「はい」

呆けたまま問えば、彼は少しおかしそうに首肯した。

無茶苦茶な理屈だ。相手の厚意に甘えることが、交渉によって手にする利益と言えるだろうか。

コミュニケーション能力だなんだと説いておきながら、結局のところ穂積と同じだ。

「ふっ……ははっ」
「長谷川先輩?」

込み上げてくる感情のままに、光は笑い声をあげた。

そうして今度こそ、自分がいかに周囲への配慮を欠いていたか、本当に理解した。

木崎との関係、穂積への想い、副会長方の問題、インサニティの調査。

千影を取り囲む現実は無情だ。絶望に囚われた思考は動きを止め、曇った眼は大切なものを見落とした。

すでに手は差し伸べられている。心を寄せてくれる人たちがいる。

信じて頼れる相手がいると分かっていたのに、彼らが光に向ける眼差しにはちっとも気付けなかった。

受け取り損ねた優しさは、果たしてどれほどあったのか。

「……情けないな、俺」
「まぁ、見ていてもどかしくはありました」
「ごめん」
「不適切です」

絶望に目が眩んでいたと謝れば、鴨原はわざとらしく厳しい表情を作った。こちらを見つめる黒い双眸がなにを訴えているのか、今ならはっきりと理解できる。

光は緩んだ口元を意識的に引き締めると、姿勢を正して鴨原に向き直った。

「俺に力を貸してくれないか」
「もちろんです。交渉成立、ですね」

渡された想いを受け取ることが、優しい彼らへの唯一にして最大の報酬だ。




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