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委員会棟を出たのは、昼休みが半分ほど過ぎてからだ。
学食に行くという渡井と共に校舎へ向かっていると、彼は徐に口を開いた。
「そう言えば、この間はどうだった?」
「なにが」
「なにって、穂積会長の誕生日だったでしょ?」
「……あぁ、それか。やっぱり綾瀬先輩が誕生日会を主催したから、生徒会で祝ったよ」
思い出したと言わんばかりの態度で返せば、渡井は露骨に顔を顰めた。彼の険しい表情を見るのは初めてだ。普段、笑顔が多いだけに怒っているようにも見える。
それにあえて触れることはせず、光は平然と先を続けた。
「色んな意味ですごい会だったぞ。綾瀬先輩や仁志はいつものことだけど、あの日は逸見先輩まで本性出して、主役をこき下ろすんだよ。夏輝と鴨原なんて真っ青になっちゃってさ」
唇から零れかけた笑い声は、腕を掴まれたことで喉の奥に引っ込んだ。
振り返った先にあったのは、予想通りの表情だ。今度こそはっきりと憤りを感じさせる顔で、渡井は光を見つめていた。
「諦めるの?」
「怒るなよ」
「そう思うってことは、自覚はあるんだね」
渡井は敏い。他者の心の機微を汲み取るのに長けており、些細な言動から相手の抱く想いを察して見せる。その洞察力の高さは、調査員として鍛えられた光を上回る。
以前から光の恋心に気付いている様子だったが、やはり思い違いではなかったらしい。
誕生日というせっかくの機会を、意図的に無駄にした光を責めている。
「部外者が口を挟むな」と返せば済む話だ。彼の言葉の裏に下世話な好奇心が透けて見えたなら、光は躊躇なく切り捨てただろう。
「俺、前に言ったよね。穂積会長、卒業しちゃうんだよ。後悔しない道を選びなよ、って」
真っ直ぐに注がれた視線には、糾弾よりも光を案じる色が見えた。
『生徒の呼び出しです。二年A組 長谷川 光、二年A組 長谷川 光。至急、学院長室まで来てください。繰り返します――』
校内に鳴り響いた放送に、光はぎょっとした。渡井も何ごとかと目を丸くしている。
「……光ちゃん、なんかやらかしたの?」
「……いや、心当たりはないけど」
「学院長室って、どういうこと」
問われたところで、答えは持ち合わせていない。指定先を考えるに、光を呼び出したのは学院長だ。滅多に姿を見せないような相手に、目をつけられる真似をした覚えはなかった。
「早く行った方がいいよ。学院長からの呼び出しなんて、ただごとじゃない」
渡井は小さく息を吐くと、光の腕を解放した。話を中断せざるを得ないのが不満なのか、物言いたげな目をしている。
時折、不思議に思う。渡井はなぜ、光にこれほど心を砕いてくれるのだろうか。
彼が光と交流を持ったのは、仁志に頼まれたからだ。今なお義務感で関係を続けているのなら分かるが、副会長方筆頭に名乗りを上げた以上、そこに本人の意思があるのは疑いようもない。
光を気に入ったと言っていたが、二人の間にそれほど大きな出来事はなかったはず。渡井は光のなにを気に入ってくれたのだろう。
与えられる無償の好意に、胸が痛んだ。
「渡井」
「余計なこと言ってごめんね。光ちゃんがいいなら、俺は――」
「覚えてるよ、お前の言葉」
対面の瞳が瞠られる。逃れるように背を向けて、光は言った。
「俺は後悔していない。後悔しないために、選んだんだ」
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